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西安便り2-2(2009.5.1)


西安便り2-2(2009.5.1)
你们好!

“中国だい好き”の皆さんお元気ですか。

 日本ではゴールデンウイークですが、中国は今日メーデーで3連休です。西安に来て19日目ですが、3日授業に出て14日旅行・観光です。しかし、旅行中のお喋りも勉強の内です。今回は26日から30日まで4泊5日(車中泊2日)で山東省に、参加者45名程の課外授業に参加しました。往復硬卧(二等寝台)で、往路12時間、復路17時間でした。硬卧は初めてでしたが、硬座に5時間乗るより楽で、長旅に自信が付きました。

 行き先は、曲阜の孔廟・孔府・孔林、泰安の泰山・岱廟、済南の大明湖・跳突泉です。曲阜は春秋戦国時代(前770~前221)に魯国の都だった所で、孔子(前551~479)の出生地です。65万人の人口の5分の1は孔姓で、世界中では直系200万人直系以外を含めれば400万人と言われているようです。

西安便り2-2(2009.5.1)_b0098096_17305978.jpg 孔廟は中国最大規模の孔子を祀った廟で、漢の高宗(劉邦)以降、皇帝や皇帝の代表団が訪れ、特に明清時代に増築が繰り返されています。この壮大な建築群は北京の紫禁城、泰山の岱廟とともに中国三代宮殿建築と言われています。また、漢代以降の碑が1100体以上あり、書家等の垂線の的の様です。孔府は孔子直系の末裔が暮らした屋敷で孔廟と地続きとなっています。孔林は孔子及び一族の墓地で78代まで埋葬されています(77代孔徳成は代湾に移住)。そして現在でも孔子直系の子孫は孔子の墓の側に埋葬できるのだそうです。

西安便り2-2(2009.5.1)_b0098096_1873123.jpg約2500年の歴史の有る孔廟は、各時代の戦火と動乱を経、古くは秦の始皇帝の焚書坑儒、1960年代は文化大革命で批林批孔運動(林彪と孔子批判)が行われ、石造などは破壊された跡が数多く残っていました。1989年以降はテレビのニュース等で見た「国際孔子文化節」が毎年行われています。かなり駆け足で見たのと事前の勉強不足は残念でした。
 
今回の旅行で最も面白かったのは泰山でした。泰山は東岳とも呼ばれ、湖南省の衡山(南岳)河南省の嵩山(中岳)陝西省の華山(西岳)山西省の恒山(北岳)と共に中国の聖山五岳に数えられ、古くから最も重要な山として有名です。

西安便り2-2(2009.5.1)_b0098096_17333756.jpg 泰山は標高1545mで、下から見上げると浅間山程度の山という感じで大して感激しませんでしたが、登って見ますと大変凄い山でした。麓から頂上までは7412段の石段と9kmの道程ということです。我々は中腹(中天門)まで専用バスで行き、そしてオジサン組みはケーブルカーで南天門まで行き、500段ほどの石段を登って山頂(玉皇峰)に到達です。

西安便り2-2(2009.5.1)_b0098096_173428100.jpg 歩いて登る人は、途中50度前後の急勾配のある約2500段の石段を登ることとなります。因みに捻挫2名で帰りのバスは1時間遅れとなりました。元気に帰ってきた人も西安で足を引きずっている人が何人もいます。私は、下りは歩きましたが1時間以上掛かり、足はガクガクです。因みに往復ケーブルカーのおじさんもいます。

西安便り2-2(2009.5.1)_b0098096_17351485.jpg 登山道の途中や頂上付近に、碑文や多くの道教寺院があります。特に頂上付近では道教独特の様式で一心に拝礼している人もおり、大変印象深いものがありました。岩に刻まれた碑文だけで本が一冊掛けるそうですが、私には全部同じように見えて余り感激はありません。

 山頂の西側は尾根続きですが、南北東側は絶壁となっており、絶景でした。ご来迎を仰ぐ為に夜登る人も多いようですが、古来より神の山と言われる訳が判った様な気がします。泰山の神「玉皇大帝・泰山府君とその妻の碧霞元君」と「封禅」等の泰山信仰を知ると一段と興味が深くなります。春秋時代の孔子も詣でたようです。私にはそれ以前のことは良く判りませんが泰山信仰は殷周時代の自然信仰から始まっているのかも知れません。後漢時代には泰山には風俗通として人間の寿命の定数を記録した原簿があると信じられ、また、南北朝時代に天帝としての泰山府君と泰山の地下深くに地獄があるという現在の信仰の原型が確立されたようです。

西安便り2-2(2009.5.1)_b0098096_1736722.jpg ところで、泰山府君は死後の世界を司る閻魔大王で、その妻碧霞元君は生と誕生を司るということです。泰山山頂部には最大の建築物「碧霞祠」があり、また山頂の最高点は鎖で囲まれた露岩となっていますが、此れを囲むように玉皇殿の道教の建物が立ち並んでいます。碧霞元君信仰は北宋時代に盛んになったようです。
 封禅の儀式は、皇帝が天と地に王の即位を知らせ、天下が泰平であることを感謝する儀式で、秦の始皇帝以前に72人儀式を行ったという記録(史記に記述)があるそうです。その後も前漢の武帝、後漢の光文帝、隋の文帝、唐の高宗・玄宗、宋の真宗、清の高宗等が泰山を奉っています。

西安便り2-2(2009.5.1)_b0098096_1737261.jpg 岱廟は泰山行宮とも呼ばれ戦国時代(前453~前221年)には建物が建っていたと言われています。現在の岱廟は北宋時代(960~1127)に拡張された敷地と建物が基になっており、雄大で華麗な建物群となっています。現在の主殿天貺殿は何度も火災で消失し1668年(清時代)に再建されたものです。泰山登山を行った歴代皇帝は、登る際に必ず岱廟に参拝したそうです。
 泰山で、今まで見たことの無い中国の景色を見た気がします。

西安便り2-2(2009.5.1)_b0098096_17375340.jpg 済南は山東省の省都で、龍山文化の発祥の地の一つでもあり、歴史は古く、旧街区と新街区とからなる都市です。近くを黄河が流れていますが、大明湖や跳突泉は湧き水で、豊富な水がありました。大明湖には李白や杜甫が訪れそれなりの歴史と謂れが有るようですが、残念ながら湖の周りを散歩したという程度の印象しか残っていません。跳突泉には宋代の詩人の記念堂が有りましたが、此れも勉強不足で良く判りませんでした。
 帰りは午後1時頃の列車に乗車で、西安着は朝の7時半でした。時間を持て余しました。

 中国だい好きの皆さん、やはり中国は奥が深いですね。
 機会が有りましたら、是非西安にも遊びに来て下さい。

再見!
2009.5.1
長尾圭介

 
 
by zuixihuan | 2009-05-05 17:43 | 西安便り