2010年 03月 20日
初めてのフランス旅行
初めてのフランス旅行 内田 知行
旧正月休みに中国から帰国した息子とフランス7日間の団体旅行に参加しました。2010年2月21日に出発し、27日に帰ってきました。パリ郊外の国際空港近くのホテルに1泊してから、ノルマンディーの著名な観光地モンサンミシェル寺院を見学しました。その後、ヴェルサイユ宮殿を見学してからパリに戻りました。パリの2日半(3泊)は完全な自由行動でした。パリでは、初めはまずルーブル美術館を見学するつもりでした。なんと言っても、フランス観光の最高の目玉です。懇意にしている画家のT先生からは、「1日ではとても見切れない。1週間続けて行っても見飽きません」と勧められました。私としては、「2日通ってもいいかな」と思っていました。印象派の作品を所蔵するオルセー美術館にも行ってみたい、と思っていました。2日半は美術三昧の生活を楽しむ予定でした。この計画に絵心の乏しい息子が若干の異議をとなえたことで、計画が根底から狂ってしまいました。
息子の好奇心をみたすために、パリの第1日目は、まず中国人街に出掛けて、それから美術館でも行ってみよう、ということになりました。というのは、パリには10万人以上の中国人がいるからです。添乗員さんの話では、セーヌ河の南のイタリア広場駅の近くに中国人街があるというので、メトロに乗ってそこを目指しました。実際には、イタリア通りを北上したメトロ7号線の駅センジィール・ドゥベントン(Censier Daubenton)の近くの地域がそうでした。店の看板はフランス語と中国語で表示してあります。アジア雑貨の店、八百屋、骨董屋、家具や日用品の店、中華レストラン、保険屋、不動産屋、安ホテルなど各種各様のお店が軒を並べています。もっとも中国系のお店ばかりではなくて、ベトナム料理店、タイ料理店もあります。中国人経営だと思って入った小さな旅館は、ベトナム人の経営でした。
雑貨屋に入ってフランスで発行されている華字紙『歐州時報』(Nouvelles D'europe)を見つけました。しばらく歩いて中華聖母堂(Notre-dame De Chine)を見つけました。これはカトリック教会です。教会には、付属の文化センター「法亜文化友愛会」(「法」はフランスの意)があり、ここではフランス語講習、成人のための英語講習、児童のための英語講習、中国料理講習、フランス料理講習、幼児のための中国語識字講習、成人のためのベトナム語講習、絵画と書道講習、児童のためのパソコン講習、成人のためのパソコン講習、学童のための補習、テコンドー講習、ヨガ講習、中国式カンフー講習、社交ダンス講習、太極拳講習、二言語の相互学習活動などをやっています。中には小さな読書室もあるようですが、この日は閉まっていました。教会には「中国天主教交誼中心」(中国カトリック友好センター)もあり、その後ろにはおそらく中国人児童のためのと思われる学校もありました。この日は24日(水)でしたが、まだ旧正月休みで休校だったのでしょう。「交誼中心」の前には「フランス語の書簡の代書します」と題した看板が立て掛けられており、まだフランス語に不自由する中国人のための支援活動をしているのでしょう。教会から3、4分歩いたところに、今度は『歐州時報』と週間新聞『欧州聯合周報』の販売所を見つけました。ここでは、事務所のデスクに座っていた王彬という青年と会いました。二十歳台の青年で、数年前に北京からやってきて、いまは『歐州時報』の広告部で仕事しているとのことです。ここで昨年末からの同紙のバックナンバーを10点余り買いました。すると、昨秋出したという『歐州時報・中華人民共和国六十周年特刊』を贈られました。建国以降の中国国内の足跡を紹介した特集ですが、私にはフランスにどのような中国人の団体や企業があるのか、が分かって興味深い資料となりました。法国華僑華人会(1971年8月設立)、法国華裔互助会(1982年、東南アジア華僑により設立)、法国法華工商聯合会(1993年10月設立)など21の団体が名を連ねています。江蘇・浙江や温州などの同郷会もあります。おもしろいところでは、傭兵としてフランスの外人部隊に参加して退役した華人が1995年に結成した戦友会「法国外籍兵団退伍華人戦友会」もあります。特集号の終りには、スペイン・ルーマニア・ベルギー・ルクセンブルクの華人団体の紹介も載っています。特集号をめくってみるだけでも、ヨーロッパ大陸における華人のネットワークの一端が分かり、その広がりには驚くばかりです。
中華街にある中国語書店「友豊書店」では、中文の葉星球著『法国華人三百年』巴黎太平洋通出版社、2009年6月刊(335頁)、を購入しました。同書によれば、30年前にはフランスの華人は1万人もいませんでした。そのうち五千人前後が台湾人で、その中には過去の留学生や1950年にフランスの外人部隊に参加した退役兵が多かったようです。1975年以降には、インドシナ難民としてベトナム・カンボジアなどから広東省の祖籍をもつ華人がやってきました。これらの政治難民を中心として、1980年代末にフランスには15万人余りの華人がいました。1978年の中国の改革開放政策以降は、中国大陸から多くの人びとがやってきました。1999年にフランス政府の統計では約23万人に増え、近年は30万人を超えたといいます(同書、308~309頁)。今回はイタリア通りの中国人街しか探索する時間がありませんでしたが、『歐州時報』の王青年によれば、まだあと2か所あるそうです。次回は、もう少し予習をして「パリの華人」という問題にアプローチしてみようと考えています。
翌25日には、パリの裁判所、パリ市庁舎、ノートルダム寺院を見ました。美しいステンドグラスで有名なノートルダム寺院は、入場者の長い列をみて、入るのはやめました。昼食後、陽一の要望にしたがって、ろう人形館を見学しました。見学者はフランス人の家族連ればかりでした。外国人に宣伝する観光名所というよりも、こどものための遊園地のような場所でしたが、結構楽しめました。私は、サルトル、ジャン・ギャバン、オーソン・ウェルズ、ノストラダムスと記念撮影をしました。若き日のマリリン・モンローやブリジット・バルドーと一緒に映るのはちょっと気恥ずかしくて、やめました。
実は、私がとても感銘をうけた場所は、ろう人形館のあとで見学した「ホロコースト記念館」(Le Memorial de la Shoah)です。メトロ7号線のポン・マリィ(Pont Marie)駅近くの裏通りにあります。とても立派な記念館ですが、その趣旨から閲覧は無料です。ろう人形館もこの記念館も、成田空港で買ったJTB刊『ワールドガイド フランス』には載っていません。いずれも、泊まったホテルのフロアにあった「遊園地・記念館紹介コーナー」でパンフを見つけました。
ホロコースト記念館は、2005年1月末に開館されました。同館は、第2次大戦時代のユダヤ人にたいするホロコーストを紹介する研究センターとしてはヨーロッパで最も大きな記念館だそうです。同館を紹介するパンフは、「展示物、卓越した資料類、多くの活動は、この時代の歴史をより深く理解し、将来の世代に知識を受け継ぎ、さまざまな形の不寛容の再現と闘うために役立てられる」と同館の社会的任務を述べています。同館1階の門前には高い石壁がありますが、そこには約7万6000人のユダヤ人の名前がびっしりと刻まれています。これは、1942年から44年までに強制収容所に送られて亡くなったフランス在住のユダヤ人犠牲者たちです。犠牲者は亡くなった年ごとにアルファベット順に刻まれています。20世紀を代表するフランスの歴史家マルク・ブロックはユダヤ人で、対独レジスタンスに参加して、1944年6月にドイツの政治警察によって殺されました。石壁には彼の名前はなかったので、レジスタンスの犠牲者は除外されているのでしょう。同館には、常設展と特別展があり、見学した日の特別展は「エレーヌ・ベール(Helene Berr)の日記」 でした。 エレーヌは1944年3月に両親とともにアウシュビッツに送られて22歳で非業の死を遂げた パリジェンヌです。彼女は1942年からの2年間、ノートに小さな文字でびっしりと日記を書き続けました。そこには若い女性の心のなかの希望と絶望が綴られていました。常設展は、古代以来のユダヤ人迫害の歴史を説明していますが、中心は20世紀、とりわけドイツ軍占領直前からフランスの解放までのホロコーストの歴史です。写真、犠牲者が遺した遺品(衣類、靴、カバン、その他の身の回りの所持品)、政治的なポスターなどが展示されています。所々に映像資料があり、生き残った人びとによる音声証言を聴くこともできます。パネルの説明はフランス語ですが、重要な部分には英語版が添えられています。しかし、音声はすべてフランス語でしたから、フランス語の分からない私はまことに残念に思いました。
若者のグループ、初老や中年のグループ、孫をつれた家族連れが粛然とした表情で見学していました。ナチスの歴史的罪状を客観的に明らかにしている資料館ですが、ドイツ人だったらどのように受けとめるだろうか、と思いました。中国には、北京に抗日戦争記念館があり、南京に南京大虐殺記念館があり、ほかにも多くの戦争記念館があります。私たち日本人は、こうした記念館を訪れるといつも身の縮む思いをさせられますが、ドイツ人はどうなのでしょうか。「戦争責任」や「戦後責任」の民族としての責任のとり方がドイツ人と日本人とでは違います。日清戦争以降中国や朝鮮半島の人びとにたいして侮蔑意識を持ち続けた日本人と、まがりなりにもワイマール時代の民主主義を体験したドイツ人、フランス文化への憧れを抱き続けたドイツ人とは、「敵国」にたいする思いは違うのかもしれません。3月上旬に岩波ホールで観た1948年のフランス映画『海の沈黙』はレジスタンス映画の名作です。そこにはフランス文化に尊敬の念をいだき、沈黙をもって抵抗するフランス人の老人と姪に礼儀をつくすドイツ軍将校が出てきます。この映画を観ながら、ドイツとフランスとの関係は日本と中国との関係とは質的な違いがあるのかもしれないな、と思いました。あるいは、ドイツ人には、ホロコーストの歴史展示を観ても、「身の縮む思い」はないのかもしれません。展示を見ながら考えたのは、やはり以上のような日本人と中国人の歴史認識の落差でした。
同館には書店があります。ホロコーストやフランス国内のレジスタンスについての資料集、研究書が豊富にありました。しかし、残念ながら書籍の9割以上がフランス語でした。迷った末に選んだのは、アナール派の泰斗、マルク・ブロックが1940年夏に執筆した対独戦争敗北の分析、『奇妙な敗北』(L'etrange defaite)とブロックの文章を編集収録した『歴史、戦争、レジスタンス』(L'Histoire, la Guerre, la Resistance)の2冊です。前者は井上幸治訳(東大出版会UP選書、1970年)があります。後者は1000頁を超えた大著で、貴重な写真がたくさん集められています。まだフランス語は歯がたたないので、せめて写真を見ながらレジスタンスに斃れた偉大な歴史家を偲びたい、と思います。
結局、芸術の都で芸術を堪能したのは最後の日のオルセー美術館見学だけでした。しかし、パリは街並全体が芸術の香りを醸し出しています。壮麗な宮殿や教会があり、歴史的事件にちなんだ広場があります。あっという間の数日でした。
(2010年3月12日)
by zuixihuan | 2010-03-20 17:46 | 読者の投稿 | Comments(0)

