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最近の中国人留学生大学入試事情

  最近の中国人留学生大学入試事情                    

宮秋道男(NPOアジアン・ロード理事長)

  冬も近くなり、日本の大学も入学試験シーズンになった。最近、首都圏の私立大学で教えている友人と話をする機会があった。友人はときどき、留学生入試の面接委員をするが、今年もつい最近面接委員をしたばかりだという。
  アジアン・ロードでも、中国人留学生の世話をしている。彼らのなかにも大学受験を控えている学生がいる。そこで、留学生の入試面接の実情について話を聞いた。以下の話が留学生の入試準備に役立ったら、と願っている。

  (1)留学生入試の内容。 友人の大学では、大半の学部が日本語小論文(60分、100点満点)と面接評価(A・B・C・Dの4段階)で決める。面接評価のさいには、面接内容だけではなくて、提出された留学生試験の点数やその他の成績資料も考慮する。「その他の資料」とは、「日本語検定1級」、英語検定、TOEICなどである。友人の大学では、「日本語検定1級」所持者は文句なく合格するという。

  (2)面接時間。  だいたい20分から30分である。友人の大学ではいつも現代日本語の文章を最初に音読させる。解釈は尋ねないが、どれだけ音読できるかで、だいたい日本語の「解釈」の水準は見当がつく。音読させる図書は、随筆や文学・哲学・日本史学など多様である。最近の流行作家や外国人の翻訳は対象外である。著名な小説家・言語学者・哲学者の著書(基本的に物故者)の著作を2、3頁コピーしてそのうちの10~15行を音読させる。たとえば、和漢字の「沖」(おき)や、「塊り」(かたまり)「足許」(あしもと)「手応え」(てごたえ)などがきちんと音読できているかどうかをチェックする。どのような傾向のテキストが選ばれるかを岩波新書で例示すると、大塚久雄『社会科学における人間』、鈴木大拙『禅と日本文化』、内田義彦『社会認識の歩み』、三國一朗『戦中用語集』、新藤兼人『老人読書日記』、梅棹忠夫『知的生産の技術』などである(ただし、これらの図書がこれまで友人の大学の入試に使用されたわけではないという)。

 (3)面接における評価の判断基準 (a)志望の動機はなにか。志望理由はどれだけ明確か。(b)志望した学部の特徴をどれだけ理解しているか。どのように学部・学科情報を収集したのか。(c)大学に入学したらどのようなことを学びたいのか。自分の学びたいことは、志望する学部・学科とマッチしているか。以上の(a)(b)(c)について、きちんとした日本語で説明できるかどうか、が合格(評価AまたはB)・不合格(CまたはD)の基準だという。
  事前に留学生が提出した入学願書には、以上の内容を書き込む欄がある。しかし、最近面接試験にたちあった友人によると、最近の入学願書には、以上の内容を適切に書き込んだものがきわめて少ない。日本語学校の教師が無責任な放任主義であるか、あるいは日本語教師の教学レベルか落ちたか、と友人は言う。たとえば、「国際文化」専攻の学科を受験するとして、「志望動機」には「国際文化を勉強したい」と書いてくる。志望する学科のホームページには設置されている科目や専任教員の専門についての資料が掲載されている。しかし、受験生はそれをまじめに読んでいない。だから、「文化」のなかのなにを具体的に勉強したいのか、と面接時に尋ねても答えられない。「文化」には、文学も思想も宗教も音楽も舞踊も美術もメディア論もある。それが、なにも具体的に答えられないのである。
  「入学後に学びたいこと」を書く欄があるが、そこに受験生は、「国際経済や貿易を勉強したい」とか「英語やアメリカ社会について勉強したい」と書いてくる。たしかに、その学部・学科には英語の専任教員がおり、英語教育も重視しているという。しかし、アメリカ研究や英文学を専門に教える学部ではない。そんなことは学部・学科のホームページをきちんと読んでいれば間違えるわけがないのに、と友人はいう。つまり、留学生は受験する学部・学科をきちんと理解していないのである。だから、「あなたは柿がほしいと書いているけれども、私たちの学部はリンゴや梨しか売っていないんです」と友人は受験生に説明する。そうすると、受験生は当惑してしまい、そのあとは対話が続かなかったという。
  友人は高い授業料を取っている日本語学校の手抜き指導にあきれている。いずれの受験生も、「日本語学校の担任の先生に入学願書の日本語をみてもらった」「先生はこれでOKと言った」という。まず、留学生が志願した学部・学科のホームページを日本語教師がチェックして、「入学願書」の内容に辻褄のあうような書き込みをさせるべきである。そして、何回か面接の予行演習をさせたならば、面接で受験生が立ち往生することもなかろう。それなら、大学側の面接委員も「まあいいか」と面接に合格点をつけるだろう。しかし、志願先学部についての理解が不十分で、志望動機と学部・学科内容とに明々白々なミスマッチが確認されたら、面接評価は不合格(評価CまたはD)をつけざるをえない、と友人はいう。もちろん、入試は不合格である。

 (4)面接時におけるその他の質問 (A)読書体験(最近どんな本を読みましたか。これまで読んだ本で感動した作品はなんですか。図書がなければ、どんな映画や演劇を観ましたか)。(B)社会的関心(最近最も関心をもったニュースはなんですか)。(C)大学卒業後の進路や職業の選択(日本で仕事をみつけますか。中国に帰国して就職しますか)。(D)高校や中学での体験(いちばん力を入れてやったことはなんですか。中学や高校時代の人間関係や社会活動はどうでしたか)。
  面接時に審査委員がとくに重視するのは、基礎能力の高さを反映する(A)と(B)である。審査委員は、「日本語でなくてもよい。中国語の図書でもよい」と言う。しかし、「高校時代には教科のテキストしか勉強しなかった」、「文学も哲学や社会科学の入門書も読まなかった」という回答に接すると、審査委員はがっかりするそうである。ちなみに、最近は近現代日本文学の名作(夏目漱石や芥川)も中国語に訳されているのに、と友人は言う。日本で日本語を学習しているんだから、岩波文庫に収められているやさしい現代日本文学の2、3冊(太宰とか有島とか)くらい読んでおいてほしい、と友人は愚痴をこぼす。

 (5)留学生試験その他の利用。 友人の大学では、直前に実行された留学生試験の結果を提出させており、面接試験の当日には「日本語小論文」の試験も実施している。友人の勤務する学部における最近の「日本人入試の偏差値」は40~42である。いわゆるボーダーフリーの大学の入試偏差値は38(俗に「氏名さえ書けば合格できる大学」)だから、まだそこまで試験のやさしい大学ではない。今年は「尖閣諸島」問題のあおりを受けて中国人留学生の受験者数は例年の半分くらいである。例年よりも受験生の基礎学力は下がったように思われる、と友人は語っている。試験の点数についていうと、友人の学部では、日本留学生試験の全国平均点の1.3倍以上を取らないと合格は難しい。国立や私立のブランド大学の入試では、政府の実施した留学生試験の合格点がこれよりもはるかに高いのはいうまでもない。友人は、近年は自分の大学では、「日本語検定1級」合格者はほとんど志願してくれない、とこぼしている。「日本語検定1級」は日本の大学で授業を受けられるための基礎資格なのに、これがない学力レベルでは大学に入っても講義は理解できないし、レポートや卒論を書き上げることも不可能である、という。


  友人は、中国人留学生からときどき日本の大学院進学についての相談も受けている。この問題についても、友人から得たコメント、提言を若干書いておく。

(1)大学院を受験するための最も基本的な条件は「日本語1級」の認定をもっていることである。中国で日本語学科を卒業した留学生はおおむね「1級」を取得している。日本に来て日本語の学習を始めた留学生は1年~2年間日本語学校で学び、「1級」を取らなければ大学院進学は不可であると考えるべきである。なぜならば、日本語の文献を読みながら、かなりのボリュームの日本語修士論文を執筆しなければならないからである。その分量は、一般的には日本語6万字以上だとのことである。

(2)日本の大学院を受験するために大切なことは、受験以前に研究課題を確定し、明確な研究計画書を完成させておくことである。日本語学校の教員では、この内容を指導するのは困難である。願書を志願する大学院に提出する前に、日本の大学院で研究した経歴のある日本人に指導をあおぐ必要があるだろう、と友人は言う。なお、研究課題の確定以前に先行研究の成果を入手して読み、研究史の整理をめぐる研究ノートくらいは完成させておかなければならない。受験以前に十分な「助走」をしておき、4月入学時点で「ヨーイ・ドン」で疾走を開始しなければならないのである。入学してから「助走」を始めるような留学生は失格であり、それを認めるような大学院には進学する必要はない。

(3)最も重要なことは、「日本語検定1級」以上の日本語力を含む総合的な分析力、関連分野にかんする基礎教養である。日本の文系大学院では、指導教授は「放任主義」という指導をする(つまり懇切丁寧な指導はやらない)。教員側は、「この受験生ならば、指導しなくても自分で修士論文が書けるだろう」と認定して合格させるのだ、と友人は言う。

(4)友人によれば、中国人留学生のなかにはわざわざ日本に来て、自分の出身地の社会、経済、歴史、文化などを研究テーマにしようとする者が少なくない。たとえば、内モンゴルからの留学生がモンゴルの牧畜文化を選んだり、吉林省からきた朝鮮族留学生が朝鮮族の教育史を選んだり、というぐあいである。友人はそういうときには、次のように問いかける。「日本人留学生が中国に留学して日本文学や日本経済を研究するか? そんな日本人留学生を知っていたら教えてくれ」。実際の話、日本の大学院には中国語のわかる専任教員はけっして多くはない。中国語と朝鮮語の両方ができる研究者はきわめて少ないし、中国語とモンゴル語の両方ができる研究者は全国で若干名であるという。つまり、上記のような研究テーマを、責任を持って指導できる大学院教員を探し出すのは、きわめて困難なのだ。友人の、中国人留学生にたいする提言は、「日本学を研究するように」に尽きる。しかし、中国人留学生の多くは、せっかく日本にいるのに日本の問題には関心をもたず、日本語の専門的な研究書はほとんど読まない(読めない?)と、友人は慨嘆している。

(5)もしも中国人留学生が卒業後、日本で就職したいのであれば、大学院進学はやめて大学進学に方針転換をしたほうがよい。文系であれば、修士号や博士号を取ることは就職には不利である。学部学生は3年生の秋季に就職活動を開始するが、大学院生は修士論文を完成・提出して卒業(修了)するまでに3か月前後しかない。修士論文を完成したときに就職活動を始めるのでは「完全に手遅れ」である。また、文系では仕事内容は一般行政職や営業職であり、修士号取得者のような高学歴者は不利になる。このような日本社会の現実を中国人留学生はほとんど理解していない、と友人は言う。  (2012年11月)
by zuixihuan | 2012-12-15 06:24 | 読者の投稿