東京都東久留米市の「グループ・中国だい好き」です。中国がだい好きな方々とのネットワーキングを大切にします。


by zuixihuan

会報58号-2(2007年4月21日)

連載 中国で日本語を教えて 5
回想の雲南―少数民族のいる風景 2
吉見 ハルカ  
 
                                             
 彝族の貧しき村に降り立って
私たちの旅の最終地点は雲南省の西北端、四川省に隣接する「泸沽(ロコ)湖」だ。納(ナ)西(シ)族の郷(さと)「麗江」からは延々バスで14時間もかかるため、乗り継ぎ駅の「宁蒗」で一泊することにした。そこは数日前に襲った大雨・洪水の後遺症がまだ至る所に見られた。泊まった招待所も給水制限中で水もシャワーも使えず、やむなくポットのお湯で顔を拭いて寝た。

 翌朝の湖行き大型バスは、旅行者や仕事で四川省に行く人々で補助席まで満杯だった。最後部席の私たちの周りには、なんだか柄のわるい連中がビールをラッパ飲みしては騒いでいる。イヤだな、と思っているうち若いTさん(旅の相棒の留学生)に絡み始めた。
「お姉さん、今いくつ」とか、「結婚してるの」なんて訊く。Tさんがまたまじめに答えるものだから、ますます調子づいて「オレと結婚しない? ナントカカントカ…」と、仲間うちでゲラゲラ笑ったりする。…と、急にバスがガクッという衝撃とともにストップしてしまった。どうやらパンクしたらしく、修理のため全員が降ろされた。

 そこは山あいの小さな集落だった。高地の日差しが照りつける赤土の道路を挟んで、崩れかけた土壁を丸太で補修した人家が何軒か並んでいた。店らしきものといえば、丸太小屋の棚に埃をかぶったタバコや雑貨が、申し訳に置かれているだけ。緑も乏しく、休憩するような場所も見当たらず、ほんとになんにもないところらしい。
すると、家のすきまから人が、湧きでるように現れた。バスが止まっているので、何事かと出きたのだろう。子どもがばかに多いが、赤子を抱いた女や老人もいる。十数人が向かい側に立ち並び、こちら側で手持ちぶさたに待つ私たちを見ている。みな一様に押し黙って。でも、男の子が何人か、そろそろと近寄ってきた。私はちょっぴり期待をこめて「你好」と笑いかけてみる。とたんに足が止まり、返ってきたのはすくいあげるような警戒の眼差しだけ……。私はバツがわるくなり、目をそらしかけてふと気づく。垢にまみれた裸足の子がいる。下着を穿いていないのか、ズボンの破れ目からお尻が覗いている子も。それに、笑顔というものが全く見当たらないのだ。大人も子どもも無表情のまま、まるで目に見えないバリアをめぐらして、そこから出るのも、よそものが入ってくるのも、頑なに拒絶しているかのようだ。と、痩せたひとりの老人が、くたびれた足どりでこっちに向かってきた。着古した人民服に帽子をかぶり、ズダ袋様のものを掛け、肩を落として道の真ん中に立ち止まった。光を失った眼がゆっくりと窺うように私たちを素通りした
…かと思うと、ふっとこけた頬を緩ませたまま、またとぼとぼと戻っていった。あきらかに異様なその姿は、老人と見えるが歳はそんなにいっていないようにも思われた。

 頭上には爽やかな夏空が広がっていたが、私はだんだん心がしんと冷えていくのを覚えた。……覆いようのない貧しさが、ここにある。この人たちは、旅行など無縁であるばかりか、旅行者を目にすることすらまれな、閉ざされた日々を送っているのだろう。かれらにとって旅行するわれわれは、全く別世界の住人なのだろう。ここで生い立つ子らが、笑顔を忘れたまま貧しさにおしひしがれてゆき、あの老人のようになっていくのだとしたら……とても堪らない気もちだった。

 バスの修理は手間取り、待つ人々の間に焦りや不満がくすぶり始めたころ、土壁の陰から30前後の女が籠を抱えてひょいと現れた。そこの裏手は土くれだらけの斜面で、すこし前、うす汚れた民族衣装姿が鍬でなにか掘っているようすだったが、あの人か。籠の中身は焼きたてのじゃがいもで、彼女は売り声をあげながらためらわず私たちの方にやってきた。それまで双方の間に滞っていた空気の壁が、その声によって微妙に揺らぎ、しだいに取りはらわれていくようだった。私は、ホッと救われた思いで、その明るい響きに耳を傾けていた。

 バスの故障でたまたま数十分間降り立っただけなのに、地名も分からない村の小景が、妙にくっきりとあぶりだされてくる。あの、取り残されたような人々は、いったい「何」だったのだろう。
後年知ったところでは、彝族は古くから4階級の奴隷社会を形成し、49年の中国解放直前まで、厳しい階級差別が続いたという。あの村もあるいは、長い差別と忍従の歴史をくぐり抜け、未だにその残滓をひきずっているのかもしれない。いま、そんな気がする。



朱自清の作品『背影』の魅力
郷右近 京子


 今回は朱自清の代表的な作品『背影』(朱喬森編『朱自清全集1』江蘇教育出版社、1996年、所収)をご紹介したいと思います。
 この作品は中国の教科書の中で用いられている作品であり、また中国を代表する文学作品でもあります。私が中国人の友達に朱自清について尋ねると、「朱自清の『背影』が有名だよ!」というように、まるで朱自清の代名詞でもあるかのように、『背影』という作品を耳にします。つまり『背影』がそれだけ多くの中国人に親しまれていることがわかります。しかし日本ではさほど有名ではなく、あまり知られていません。そこで、朱自清の代名詞でもある『背影』の魅力についてお話したいと思います。
 
 『背影』は、朱自清が1925年に北京で書き上げた作品です。それは1917年に南京を離れて北京大学へ出発する際に、朱自清のお父さんが彼を南京の浦口(ほこう)駅まで送りつつ、さらに彼のためにみかんを買いに行った後、プラットホームへ這い上がりよじ登ってきた姿を『背影』に綴(つづ)ったものでした。
 朱自清は、お父さんが買ってきたみかんを彼に手渡した後、人ごみの中に姿を消してゆくお父さんの「背影」を見送りつつ、そこからにじみ出る子を思う愛情に胸を熱くしたのでした。彼は、この作品の中で素朴な言葉を用いることにより、父の子に対する愛を深くきめ細かに表現し、人々を感動させてきました。そして日ごろの出来事から、お父さんの配慮や、いたわりを感じとっていたのです。((注1))
 
 この作品を生み出した背景には、朱自清一家の貧しい生活環境がありました。それは朱自清の祖母の葬式代や彼の学費のための借金、さらにはお父さんの失業による生活苦でした。その当時から、朱自清の両親は、子供達に勉強させるために常に借金に頼っていたため、その借金は彼が北京大学を卒業するまでずっと続きました。その結果、一家には何千元という借金が残ってしまったのです。((注2))借金をしてまで息子に勉強をさせたいという朱自清のお父さんの愛情がこんな場面からもうかがえます。どんなに大変な生活環境でも息子を思う気持ちだけは変わらない、私はそんなところにも感動しました。

 きっと朱自清はお父さんの「背影」を頭に思い浮かべながら、この作品を描いたのでしょう。またこの作品は、ありふれた日常生活の一場面に感動が潜んでいることを教えてくれる物語だと思います。この作品に出てくる朱自清のお父さんと、私の両親が頭の中で重なり、じーんときてしまいました。
 みなさんもよろしければ朱自清の『背影』をご覧になってみてください。

(注1)范銘如主編;陳俊啟編者『朱自清』(三民書局2006年5月初版印刷37頁)
(注2)陳竹隠『追憶朱自清』(中華文史資料文庫 文化教育編 第十五卷 20-15
文学芸術中国文史出版社 1996年・北京51頁)



お知らせ

1 総会と懇親会
5月12日(土)12時~2時  男女平等センター
  軽食あり。総会後懇親会を開きます。
希望者は5月1日~8日の間に、川村(471-3960)までご連絡ください。

2 中国映画上映会
  8月26日(日)1時30分より 市民プラザ(予定)
  上映する映画は検討中  

3 中国の旅 
シルクロードの旅(ウルムチ、トルファン、クチャ、ホータン、カシュ
ガルなど南ルートを検討中)
  9月中旬から、8~10日間

4 市民自主企画 中国の魅力を知る連続講演会 中央公民館(予定)
  1回 10月7日(日)1時30分より(予定)
  2回 11月25日(日)  同上
  3回 12月9日(日)    同上
*講師、講演テーマは検討中

5 中国語中級クラスの新任講師は王贇翔先生になりました。
  張芃先生が3月末で中国大連に帰られたため、4月から王先生に教えていただくことになりました。王先生は山東省文登市の出身で、現在東京学芸大学の3年生です。
 

会員紹介
中国語と花祭り
千田 茂(滝山在住


中国語との出会い

 職場に中国の沈阳(瀋陽)出身の学生がアルバイトで来ていたのが中国語と関わるきっかけでした。1995年4月、いい機会だからとNHKの中国語講座テキストを使い、主に読み方と発音を中心に教えてもらうようになりました。
1年ほどで彼女は大学院を修了してアルバイトはやめましたが、私はせっかくやり始めたので中途半端でやめるのはいやだと思い、引き続きテキストを使って独学をしていました。

初めての中国旅行

 2000年8月、急きょ中国に旅行することが決まり、知人4人で北京、沈阳、哈尔滨(ハルピン)をまわりました。沈阳では、中国語を教えてくれた彼女のお姉さん夫婦と会う事ができました。日本語が全くわからない彼らと、私のつたない中国語でも何とか会話ができたことで、単語を覚えて発音できれば何とかなるものだという変な自信がつきました。

「グループ中国だい好き」の中国語教室に参加

 テレビ、ラジオを使っての独学の日々でしたが、身近に知人が参加している中国語教室があることを知り、2002年5月から「グループ中国だい好き」の中国語教室に参加しました。1週間に一度の教室ですが、現地になかなか行けない私にとっては、中国語に直に接する機会がもてたことは非常にありがたいと思っています。

民俗芸能「花祭り」

 私は滝山地域で民俗芸能の「花祭り」にも取り組んでいます。愛知県奥三河地方に700年ほど前から伝わる芸能ですが、東京の滝山地域で伝承して15年になります。歌と太鼓と笛で舞う芸能で、私も舞と太鼓をやっています。祭りは毎年12月に開催されていて、地域の祭りになって皆さんに楽しんでいただけたらいいなと思っています。

中国語と花祭りが私の当面の課題です。
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by zuixihuan | 2007-05-27 18:27 | 会報 | Comments(0)