東京都東久留米市の「グループ・中国だい好き」です。中国がだい好きな方々とのネットワーキングを大切にします。


by zuixihuan

カテゴリ:西安便り( 20 )

西安便り3-(5)


西安便り3-(5)
雲南の旅


中国だい好きの皆さん:
 
  お元気ですか。

  西安は毎日夏日です。それでも、乾燥していますので木陰や室内は涼しく、未だ冷房を付ける必要はありません。

b0098096_41626.jpg  5月21日から8日間の日程で雲南に行って来ました。富岡さんも留学していました昆明の雲南大学に、以前交大で一緒に勉強していました友人がいますので、一緒に雲南省の北部(香格里拉、麗江、大理)を旅行してきました。今回の旅は、昆明から香格里拉まで飛行機で行き、帰りは途中下車しながらのバスの旅です。
  昆明の中心部は、二系統の鉄道で囲まれた楕円形の街ですが、現在地下鉄工事を行っており、何となく重心を翠湖公園において、街の形を線路の外まで拡大しているような感じがします。地形だけで見ると皇居を中心に道路が取り巻いている東京に似ており、道幅が狭く曲がりくねって、何時も車が渋滞しているのも一緒です。街並みや商店は西安に比べると綺麗で、人は少ないですが活気が感じられます。

 雲南大学は翠湖公園に道路を隔てて接しており、面積・学生数は交大の半数くらいですが、校内は緑が多く、建物の意匠も変化があり、綺麗な大学です。西安等の中国の都市は、街も大学の構内も建物も、直線と矩形が多く合理的な緊張感のある近代都市という感じがしますが、昆明の街は道路も大学構内も曲線が多く、これ以上車が増えたらどうするのだろうと心配もしますが、風情があり、穏やかな落ち着いた雰囲気の商業都市といった感じがしました。

b0098096_4204211.jpg  香格里拉はヒマラヤ山脈の山裾の山襞の間の広大な草原地帯で、標高が海抜3300m位あります。一寸例えようのない地形で、草原は緑一色で馬、ヤク、羊が放牧されており、周囲に雪山が見えます。香格里拉はチベット系の蔵族が多く住む街で、街の北側の高台にチベット仏教寺院「松赞林寺」があります。雲南のポタラ宮とも呼ばれるそうですが、荘厳な佇まいで周囲を圧倒しています。少年修行僧も多く居て、チベットに近いことを感じさせます。


b0098096_4195144.jpg  街の西方5、6kmの標高4100mの「石卡山」にロープウエーを乗り継いで登りました。山には雪渓が残っていますが、雪渓の縁には石楠花が咲いており、大変見事な景色です。空気が薄くて歩くのもやっとですが、山頂に登ると東西南北が見渡せ、北西方向に見える梅里雪山(6640m)を中心に高峰が多く、壮大な景色です。
  更に、街の東方にある「碧塔海,属都海」景観区に行きました。ここはバスで、標高4100mの景観ポイントまで行き、次のポイントまで歩いてはまたバスに乗って移動するといった場所で、山裾の美しい湖と満開の石楠花が咲く緑一杯の大変綺麗なところでした。
  香格里拉は広大で豊かな景観が見所で、景観地も離れた処に点在していますので、最低1週間くらい滞在して、ゆっくり自然を堪能することをお勧めします。民族料理はヤク料理が美味しいです。

b0098096_4173163.jpg  麗江は、周囲に玉龍雪山を初めとする美しい自然が広がる街で、交通の要衝として古くから栄えた街のようです。香格里拉や大理にも有りましたが、古城という古い街並みを残した一郭がありますので、歴史を体感することもできます。
  麗江での宿は、古城の外れの「客桟」に泊まりました。客桟は雲南の都市には何処でもある様で、日本語では旅籠と訳されていますが、旅館というより商家を旅館風に改装したもので、中庭がある中国風民宿といった感じです。中庭にはブーゲンビリアンが咲き誇っており、ゆっくりお茶を飲めますので中々快適です。
雨も降りましたので、古城内で富岡さんに教えてもらった納西族のトンパ文字の印鑑を作ったりして、ノンビリ過ごしました。

b0098096_4184042.jpg  大理は、広大な「洱海」の周りに広がる田園都市で、周囲に4000m級の山があり風光明媚な処です。丁度田植えが終わる時期で、牛で耕し、機械を使わないで一本ずつ人の手で植えている景色は、昔の日本の田園風景と一緒で、懐かしさを感じます。
大理は白族の居住エリアでが、水と広大な田園にも恵まれた豊かな土地です。大理だけでなく他の都市でも白族の経営するホテルやレストランを多く見かけましたので、白族は中国の少数民族の中でも文化程度が高く、事業意欲もあり比較的裕福な民族だと感じました。
  大理は洱海の西南側が開けていて、街や田園が広がっていますが、東部は漁村が点在するだけです。景色は東側の方が良いということで、タクシーをチャーターして東側の漁村に行ってみました。道路は殆ど舗装してありませんが、街並みは立派で百年以上経っている家が多い様で、独特の景観を作っています。住んでいるのは全て白族で、観光船や湖での刺し網で魚を取って生計を立てているようです。小さな魚は煮干のように乾燥させていました。

  大理の街で食事をしましたが、殆どの食堂は、店先に生きた泥鰌、魚、鰻、ザリガニ、蛙と十数種類の野菜を並べており、それを選んで料理を作ってもらう方式です。どれも新鮮で大変美味しかったです。
  食事といえば、西安の料理は多様で美味しいのですが、美味しい米が有りません。強いて美味しいといえば中国の東北部の米で、一毛作だから美味しいと言っています。
しかし雲南では、何処に行っても米が美味しいです。特に昆明で食べた泰族料理の店では、細長い泰米ですが、一度茹でてから蒸すそうで、もち米のような食感が有り大変美味しかったです。
  今回の旅は高度と腹具合で若干つかれましたが、広い中国の南西部の景色、風土に浸ることが出来、大変感激しています。
今期が終わったら、もう一つの中国である新疆ウイグル地区に行って見たいと考えていますが、体調次第です。

  7月末には日本に帰って「中国だい好き」の皆さんと一緒にまた中国語を勉強したいと考えていますので、宜しくお願いします。
祝你们
身体健康!
2010.6.5
長尾圭介

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by zuixihuan | 2010-06-08 13:19 | 西安便り | Comments(1)

西安便り3-(4)

2010.5.2

西安便り3-(4)
寧夏回族自治区の旅


中国だい好きの皆さん:
 
お元気ですか。
西安は桜と牡丹と桐の花が終わり、芍薬と薔薇が咲き始めました。交大や興慶公園では牡丹園の隣に芍薬園を作っており、来週位が見ごろになります。

日本では今ゴールデンウイークの最中で高速道路は何処も大渋滞だと思いますが、中国も5月1日は労働節で月曜日まで3連休で、西安駅や鐘楼の周辺はいつもの週末以上の人出です。西安郊外の観光地に行くバスも増発しているようです。

私たち留学生は4月28日から3泊4日で寧夏回族自治区に行って来ました。2泊は往復の火車の硬臥で、中衛市と銀川市を夫々1日の日程です。火車から見る寧夏の沿線風景は、砂地に背の高いポプラを植えて防砂林や街路樹とし、地面は緑が少ないですが、葡萄や梨・林檎などの樹木を植えております。始めて見る景色で、人の手が入った砂漠地帯で豊かな土地の様でした。

寧夏回族自治区の北部は内蒙古自治区、南部は甘粛省と接し、東部の一部が陝西省と接しており、黄河の上流部に位置していますが砂漠化が進んでいる地域の一つです。地勢は全体として南が高く北が低くなっていますので、黄河は寧夏平原を北上し内蒙古自治区に入り弧の字に曲がった後、陝西省と山西省の境を南下し、河南省で東に出て、山東省で黄海に流れ込んでいます。今回の旅で不思議な形をした黄河の流れ方の訳が少し判った気がしました。

この地域はシルクロードの河西回廊の要衝であり、唐代、五代十六国時代から宋代にかけて色々な支配民族が入れ替わっています。唐代は鮮卑系の吐谷渾(tuyuhun)、チベット系(チャン族:羌族)の吐蕃(tufan)、羌族系の党項(タングートdangxiang)の攻防があり、宋代(北宋960~1127、南宋1127~1279)の1038年から1227年にかけて羌族系の党項が西夏王国を建国しこの地域を支配しています。

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(西夏文字碑)

西夏は西夏文字という独自の複雑な文字を持ち、高い行政力と文化持っていましたが、元の成吉思汗に滅ぼされ西夏文字と共に砂漠の中に埋もれた国です。
現在は回族(ムスリム)が自治区人口の三分の一、漢族が三分の二を占め、回族は長年の混血により外見上は漢族と見分けはつかないが、起源は元代に中国に流入したトルコ人、ペルシャ人、アラブ人などの西域民族とされています。羌族は2008年の四川大地震があった四川省アバ・チベット族チャン族自治州と綿陽市北川チャン族自治県が民族地域になっています。

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(沙坡)

中衛市では「東通草原、沙坡头、腾格里沙漠、」に、銀川市では「沙湖、西关清真大寺、西夏王陵、寧夏博物館」に行きましたが、西夏王陵以外は何れも風景地としてテーマパーク化されており、私に取っては若干物足らないものを感じました。

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(寧夏博物館)

西安も大唐芙蓉園や阿房宮はテーマパークですが、空海の青龍寺も今周辺を乐游原風景区として開発していますので、数年立つとテーマパークの中の寺になる可能性があります。

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(西夏王陵)

西夏王陵は紀元前8世紀から1000年以上も続けて作られた岩画で知られている賀蘭山の東側35kmに位置し、東西4.5km南北10kmに渡る広大な土地に9代の王陵と200の陪葬墓が点在していますが、初代元昊の陵が3号陵として公開されています。元々は霊台という八角形の高さ20mの土とレンガで固めた墳墓ですが、風化して現在の様な円錐形になったものです。不思議な形の小山で、西域の得意な風景と文化に触れた感じがして、大変感激しました。

中国に来て、三国時代、漢代、隋・唐代に興味を持ちましたが、今回の旅で宋代にも興味が広がったことが収穫でした。

中国だい好きの皆さん、是非中国の色々な処を旅行して興味の枠を広げてください。

   祝你们
身体健康!
2010.5.2
長尾圭介

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by zuixihuan | 2010-05-05 21:27 | 西安便り | Comments(0)

西安便り3-(3)

2010.4.9

西安便り3-(3)

中国だい好きの皆さん:

お元気ですか。

西安はポプラや柳の葉が一気に伸び柳絮が飛び交い始め、至るところで花が咲いて、春が来たという気分に浸っています。交大のキャンパスでは2週間ほど前に咲いた山桜や染井吉野は散りましたが、今八重桜とライラックが満開です。

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(交大の桜並木)

交大の八重桜は日本から持って来た濃いピン色の品種が多く、校内で東西に二本伸びる300m位の桜通り(樱花东路と樱花西路)があり、桜だけのアーケードといった感じで大変豪華です。この時期は学生や教職員の友達も来るようで、家族連れや子連れで散策しており、皆笑顔で写真を取っています。交大は西安市内でも桜の名所となっています。

私は昨年4月中旬に西安に来ました。日本の桜を見た後、西安でまた桜と牡丹が見られると楽しみにしていたのですが、西安は東京より1,2週間春が早い様で、残念ながらその時は、桜は散り牡丹は最盛期を過ぎて、芍薬の時期になっていました。今年は3月に来ましたので、西安と洛陽の両方の桜と牡丹を見たいと思い、先週洛陽に行って来ました。

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(洛陽の牡丹)

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(洛陽の牡丹)

洛陽では4月1日から5月5日まで街を挙げて牡丹祭りを開催しており、この最盛期にはホテルは倍近い料金となり、招待所も満室で、列車の切符も取りづらくなるということです。そこで少し時期が早かったのですが、牡丹祭りをするくらいだから何処かで咲いているだろうと期待して、4月2日(金)から2泊3日で若者3人と一緒に行ってきました。

昨年秋に西安から鄭州まで动车(特別快速急行)が開通しましたので、行きはこれに乗り、帰りは在来線の急行硬座です。动车は在来線の線路を走り精々1,2時間程度早いくらいに思っていましたが、乗って見ると専用の線路と駅を新設し、車両は日本の新幹線仕様でした。内装だけ中国で製作したようです。帰りは5時間半かかりましたが、行きは2時間弱です。料金は动车が185元、在来線が55元です。

洛陽駅は街の北にありますが、动车の新駅「洛陽龍門」駅は街の南の外れでした。バスで洛陽駅に移動しましたが、街路樹は西安に比べて芽吹きが遅れており、緑地帯の牡丹も蕾の先が未だ赤くなっていません。少しがっかりしました。この日は宿に荷物を置いて、街の東側にある白馬寺に行きましたが、大きな牡丹園の牡丹も未だ蕾が小さく、交大の牡丹の方が大きいくらいです。

二日目は、龙门石窟と关林に行き、帰りに道筋の「中国国花园」に寄りました。中国国花园は総面積46万㎡、牡丹鑑賞園面積26万㎡で、約1000種数万株の牡丹が植えられており、中国で最大の牡丹園です。早咲き、中咲き、遅咲きの品種があり、1ヶ月余りに渡って楽しめるようです。幸いにも、広い園内の所々ですが牡丹が咲いており、電動カーとで花が一番咲いているところに移動して、帰り道をゆっくりあるいて、牡丹や他の花を見て来ました。この時咲いていた牡丹は人工的にシートで覆って早く咲かせたようで、本格的な開花は1、2週間先のようでした。今年は寒い日が続いたので遅れているようです。 三日目は洛陽博物館と「王城公园」です。王城公园は動物園と遊園地があり、早く咲かせた牡丹も咲いており大変な賑わいでした。 

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(青龍寺の桜)

西安に帰ってから、5日(月)は清明節で休みですので、青龍寺の桜も見に行って来ました。拝観券売り場も入口も長蛇の列で、境内も大変な賑わいです。ここは八重桜と枝垂桜があり、八重桜は色も白から濃いピンクまで種類が豊富です。しかも細い道の両側に植えてありますので、交大以上に豪華でした。空海の記念碑のある広場の周囲は内側に桜、外側に大きな桐の木が三方を取り囲んでおり、紫の桐が咲きかけたところです。満開になるとこれも楽しめます。

今日交大の北門周辺の日当たりの良い所の牡丹が20本程咲きました。白やピンクの薄い色が早咲きのようです。西安では4月中旬過ぎまで牡丹を、それから5月初めまで芍薬が楽しめそうです。

4月末は陝西省の西北に位置し、黄河の上流部になります寧夏回族自治区の銀川と中衛に4泊5日(往復2日は車中泊です。)留学生旅行です。オルドスと呼ばれ、西夏王国があった場所です。井上靖の敦煌はこの西夏の建国時代が舞台となっています。

旅行も中国語の勉強のうちと考え、色々旅行を計画しています。
中国だい好きの皆さんも大いに春を楽しんで下さい。

   祝你们
身体健康!
長尾圭介
2010.4.9

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by zuixihuan | 2010-04-10 04:29 | 西安便り | Comments(0)

西安便り3-(2)

2010.3.28
西安便り3-(2)

中国だい好きの皆さん:

お元気ですか。

西安は気温の変化が激しく、日中でも5,6度の日があるかと思えば、17度前後の暖かい日があったりで、上着を着たり脱いだりしています。

日本にも黄砂が行ったようですが、西安は上空を通りすぎるのか、流れの谷間なのか、北京等と比べれば量は少ない方です。それでも曇りの日は空に靄が掛かったようになり、雨が降りませんので車道は埃が舞っています。窓を閉めていても部屋の机の上や床に薄っすらと沙尘が溜まる日もあります。

西安は黄土高原の外れに位置し、しかも乾燥して雨が少ないですので、常緑樹も埃をかぶっており、空も周りの景色も薄い灰色に染まっていて寒々としています。その中で、花が咲いたり、若葉が出てきたりしますので、周りと違う空間が出来るので、感激します。

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(交通大学の山桜並木)

春の初めは黄色の迎春花咲き、柳の新芽が出てきました。次に梅や桃の花が咲き、そして今、辛夷、木蓮、山桜、染井吉野や連翹等が咲いています。日本で余り見ない花もあり、また木瓜なのか桃なのか良く判らない花も多いのですが、思いがけない所に思いがけない花が咲きますので、校内や公園の散歩は楽しいです。

校内に染井吉野が5,6本ありますが、余り目立たない場所に植えてあり、一斉に咲いているのですが、色が薄くて曇った空に溶け込んであまり華やかに感じられません。日本の様に青空が無いと華やかにならないようです。中国人は赤や濃い色を好みますが、周りの景色の影響もあるのかも知れません。

日本から持って来た八重桜や枝垂桜が交大や青龍寺にあり、これが西安の桜の名所になっています。今蕾の先が赤く成りかかっていますので、来週には咲くと思います。この時期は青龍寺も拝観料を値上げするようです。

桜の後は桐が咲きます。青龍寺には大木がありますが、郊外に出れば道路脇の至るところに有ります。これも天気の日に見れば中々風情があります。西安の街や校内の主な街路樹は梧桐(鈴掛けの木)です。葉が出ると道路を覆うようになりますが、今は白い樹や枝だけで、小さな芽が出掛かったところです。

公園や校内に牡丹園が沢山ありますが、先週まで小指くらいだった蕾が、今日は親指くらいになり、先が赤くなっているものもあります。桜・牡丹が咲き、梧桐の若葉が出てくると西安もやっと春爛漫となります。来週くらいにはと期待しているところです。

寒いので余り遠出をしていなかったのですが、授業も3週が終わり留学生の皆さんも様子に慣れたところですので、昨日(27日土曜日)おじさんおばさん4人でタクシーをチャーターして西安郊外の南方をドライブしてきました。西安は今地下鉄を作っており、南北線は来年末頃に開通するそうです。また、道路専用の外環状線が有りますが、その外側に井桁を囲むように遠隔地と繋ぐ高速道路が走っています。車で行けば短時間に遠くまで行けるようになりました。

そこで、西安郊外50km程の秦岭山脉の麓を東から西に150km程走って、のんびり名所や景色を見て回ることとして、朝8時に留学生楼を出発しました。

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(水陸庵の塑像)

最初は西安市の東南に位置します『水陸庵』です。日本の案内書にも陝西省の案内書にも載っていませんが、創建は唐代で、建物や塑像は明代の建造です。3,700体程の小さな塑像がある知る人ぞ知るという名所で、紅衛兵が壊そうとしたが住民や軍隊が破壊から守ったというところです。塑像は大変精緻で、芸術性も高く敦煌の塑像にも匹敵するといわれ、保存状況も良いです。交通の便が悪く、建物規模が余り大きくありませんので、参観者は多くありませんでしたが、農村地帯の真ん中の清流の流れる川べりにある建物で、日本人にはお勧めポイントです。中は撮影禁止で良い写真が取れていません。

秦岭山脉は黄河と長江の分水嶺で、中国の北方と南方の境になっています。2,500~3,000m級の山(西安市は標高500m位です。)が連なっており、その麓の高速道路周辺は麦を中心とした野菜畑です。麦は20cm位になっており、丁度菜の花が咲いていました。高速道路が出来たので、何箇所も村興しの様に農家が集まって釣堀のある大規模な食堂を作っています。バーベキューやキャンプ場といった感じで、夫々車が50台近く停まっており、中々繁盛しているようでした。

我々もその一つに入って、地鶏のスープと野菜料理で昼食です。釣堀の魚は丹鯉の様で、手が出ません。天気もよかったのでテーブルは屋外でビーチパラソル付きです。

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(草堂寺)

今回の最終目的地は宝鶏市に近い老子墓(唐代に老子塾があった様ですが本当の墓かどうかは良く判りません。)だったのですが、途中唐代の三蔵法師の墓のある『興教寺』、4世紀の鳩摩羅什の墓のある『草堂寺』を回っていたら遅くなったので、途中で切り上げて帰ることとし、帰りの道筋にある浄土宗の開祖の寺で日中浄土宗の祖庭といわれる『香積寺』に寄ってきました。帰着は夕方7時でしたが、天気も良く、のんびりドライブの楽しい一日でした。

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(香積寺)

来週は2泊3日で洛陽に牡丹を見に行ってきます。牡丹の花が咲いているように祈っているところです。また、様子をご報告します。

中国だい好きの皆さん、中国も楽しい季節になって来ましたが、日本も春爛漫だと思いますので、大いに楽しんで下さい。

再見!
長尾圭介
2010年3月27日

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by zuixihuan | 2010-04-02 05:16 | 西安便り | Comments(0)

西安便り3-(1)

2010.3.2
西安便り3-(1)

中国だい好きの皆さん!

お元気ですか。

私は、2月24日にまた西安にやって来ました。西安は3回目となります。
今回の留学は沿海部の青島等別の都市に行こうと考えたのですが、内陸部の西安は比較的物価が安く、西安も未だ見残しの場所が沢山あり、しかも私の中国語もマダマダですので、良くわかっている西安交通大学に来ました。

  到着した数日は外気が17度で、更に室内は24時間の暖気が入っていますので、28度あります。股引を脱いで一気に半袖姿になったのですが、28日からまた中国の初春らしい気候になっています。気温は3度から6度くらいです。

b0098096_20442594.jpg  どんよりとした靄の立ち込めたような天気で、外は冬枯れの枯葉と埃っぽい景色です。梅が咲いているかと思いましたが、未だ小さな蕾です。木は全く芽吹いていません。辛夷の花は蕾が大分大きくなっていました。

  大学構内で唯一咲いている黄色い花を見つけました。「迎春花」と言うそうです。
日本では見かけない花で、中々しゃれた名前です。青龍寺や路の緑樹帯にもさいていました。
  城壁の周辺や街路樹がライトアップやイルミネーションで飾り立ててありましたので、当初は春節の名残かと思っていましたが、2月28日が旧暦の1月15日元宵節で、そのための飾りでした。

到着した日から毎日夜爆竹や花火の音がしていましたが、28日の夜は6時ころから11時ころまで至るところで爆竹と花火をやっており、バリバリ、バンバン、ドカンドカンとすごい音が引っ切り無しにしました。あたり一面火薬の煙と匂いが立ちこめて、すごいというかすさまじい状況です。

爆竹は路でやっていますので、殆どの店屋の前は爆竹の殻で真っ赤になっています。花火は、規模は大きくありませんが、至るところの道路脇や公園等で打ち上げており、横断歩道の上から見れば360度至るところで打ち上げています。ホテルや大きな商店の前の花火は大きいようで、しかも長時間大量に打ち上げますので、相当の金をつぎ込んでいるものと思います。

b0098096_20474336.jpg  我々は到着したばかりの同学と安い食堂で宴会をやりましたが、西安の南門、大雁塔、
東大路などでは爆竹、花火に加え花灯(元宵節用の提灯)や扭秧歌(ヤンコ踊り:北方の農村で節句や祝い事に際して行われる踊り)が行われたようで、すごい人出のようでした。

  大学は、本科は1日から始まっていますが、我々語学生は来週8日から授業開始です。
今期の日本人の留学生は、若い学生が10人で最近減少傾向にあるようですが、おじさんやおばさんは逆に増えて10人になるそうです。未だ半数程度しか揃っていません。

  足慣らしに毎日散歩をしていますが、27日に青龍寺に行って着ました。バスでは3駅ですが、歩いて片道25分~30分です。丁度良い散歩コースです。
青龍寺は記念碑、記念館、三重塔、庭園と寺とが区画されており、庭園の方は有料ですが、寺は地元の人が参詣しますので無料になっています。

半年前には寺の周辺は荒廃地で整地整備の途中でしたが、今回行ってみましたら整地が大分進み、南門等の新しい建物が建て始められていました。境内全体を遺跡景区として整備保存するようです。

b0098096_20462785.jpg寺は元宵節の前日の土曜日ということもあり大変人が多く、線香や蓮の花の形をした蝋燭が沢山供えられていました。青龍寺は恵果大師と弘法大師が本尊ですが、本堂の中には道教の神様も多く祭られており、寺側でも庶民化を進めているのかもしれません。若者も大勢参詣していました。


b0098096_20483893.jpg西安での食事は、大体朝食は部屋でパンとコーヒーか近くの清真(イスラム)食堂で、油条(1本0.4元)と上海豆腐(0,6元)、包子(1個0,4元)と豆浆(一袋0.4元)、或いはもち米と棗を蒸した餅(1杯1元)です。もち米と棗は粽糕と言うそうで粽を大鍋で作ったようなものです。食欲が無いときには一番です。昼食は麺類が中心です。西安には色々な麺がありますが、大半は辛く直ぐ飽きてしまいます。辛くない店が2,3軒ありますので、常連です。夕食は大学周辺の食堂に行きますが、3、4人で1食10元、20元、30元と年段差があり、また夫々の味が違いますので、飽きないように使い分けています。学食でしたら1食5~6元です。

西安の地元料理といえば、餃子、泡馍、肉夹莫、biangbiang面等です。biangbiang面は、38画の難しい当て字を書いています。ベルトのような茹でた面に汁の少ない具を載せたもので、学食では小椀が3元です。味が辛くないので、大体1週間に1回くらい食べます。東京でも池袋西口のメトロポリタンプラザの7階で食べることが出来ますよ。「西安餃子」という店です。是非行ってみては如何ですか。

私は今西安で本格的な春が来るのを楽しみに待っていますが、中国だい好きの皆さんも日本の春を楽しんで下さい。
また、お便りします。

再見!
2010.3.2
長尾圭介

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by zuixihuan | 2010-03-08 20:41 | 西安便り | Comments(0)


西安便り2-6(09.7.16)

你们好!

“中国だい好き”の皆さんお元気ですか。

日本はそろそろ梅雨明けだと思いますが、西安は連日最高気温38度の猛暑です。若干乾燥していますので、日陰は涼しいですが日中は校内の運動場や城市の人通りも少なくなります。果物屋の店先には早くから西瓜や桃が並んでいましたが、先週ぐらいから玉蜀黍、林檎、葡萄等が出始めています。中国はこれから果物の種類が多くまた美味しい季節になります。

私の中国生活も残り僅かとなりました。今回は3ヶ月という語学勉強には中途半端な期間で、余り進歩していませんが、彼方此方旅行をして楽しく、愉快に過ごせました。

7月5日に発生した新疆ウイグル自治区ウルムチでの暴動は中国でも連日報道されていましたが、最近は露出度が少なくなり、全貌や見通しが良く判りません。中国に居ますと、少数民族問題は中国が抱えている根本的な課題ということを何となく感じます。中国の少数民族は漢族と経済的社会的な融和を目指しているように思いますが、差別というより初めから隣は違う人という感じがします。日本人には良く判らない問題です。

西安では看板に「清真」という字が入った商店や食堂が沢山ありますが、少数民族の意匠を凝らした建物や衣服を着た人をあまり見かけません。成都ではチベット族やチャン族の住む建物は街の他の建物と造りや彩色が違い、また働いている人、街を歩いている人は民族衣装を着ていますので少数民族ということが直ぐ判ります。野良仕事等も民族衣装でやっています。私の目から見れば、漢族も少数民族も互いに自己主張が激しすぎる気もします。

我々日本人留学生は13人いますが、4人は交大に残り、2人は天津の別の大学に行き、残りは帰国です。7月に入ると、我々は何処に旅行に行くか、どのルートで日本に帰るか、列車の切符は如何する等の話題ばかりとなります。

今の時期は学生が大移動しますので、列車の切符確保が大変です。10日前に発券されるのですが、朝8時には長蛇の列で、やっと自分の番になったときには買いたい切符が売り切れということも有ります。日本人留学生4人が2週間程の新疆一周旅行を予定しやっと列車の切符を買っていたのですが、ウルムチ騒動で2人はキャンセルし、2人はウルムチの手前のトルハンあたりまで行くということで、12日の夜出発しました。私も初めは予定していたのですが、ビザ期限がありますので、あきらめていたところでした。

今年のおじさん留学生は、授業より旅行が優先という人が多く、私も7月3日の午後から2泊で『漢中』、12日夜から3泊4日(車中泊1日)で『延安』に行って来ました。

漢中は陝西省の南方にあり、三国志の時代に蜀の劉備、諸葛孔明と魏の曹操とが盛んに領地の取り合いをした地域で、歴史的に有名な場所です。諸葛孔明の墓もこの地にあります。西安と漢中との間に秦岭山地があり、以前は交通が不便で西安から列車、バス共に10時間掛りましたが、昨年5月に高速道路が開通しましたので今は4時間で行けます。

b0098096_4311574.jpg我々おじさん4人は、午前の授業を終えて西安城南汽车站(城西汽车站、火车站からもバスは出ています。)に行きました。バスは1時間おきに出ているのですが、早い切符は売り切れで、午後4時半発がやっと買えました。3時間の時間待ちです。時間待ちは、日本でしたら直ぐ喫茶店に行くのですが、中国には喫茶店が無いのでこんなときに困ります。汽车站付近には食堂しかなく、ビールを飲んで3時間粘るしかありません。そこで、来たバスで大雁塔まで引き返し、ケンタッキーかマクドナルドに行って時間つぶしをすることとしました。

西安の喫茶店事情は、スターバックスが数店ありますが、コーヒーが30元位しますので、日本より高いです。上島珈琲店が何店かありますが、日本の上島珈琲とは関係ないそうです。大体『※※珈琲』という店は、日本のバーと喫茶店を併せた様な店で朝10時頃から夜2時頃までやっています。酒だけを飲むならこの様な店が便利ですが、少し高いです。程々美味しいコーヒーを飲んで時間的にも粘ろうとするなら、ケンタッキーやマクドナルドが最適だということが最近判ってきました。コーヒー1杯が6、7元で、どの街市でも火车站の近くの店でしたら時間待ち客が大勢います。

夜9時頃に漢中に着きましたので、先ずは宿探しです。高速道路汽车站は街のはずれにあり、中心部に移動しなければならないのですが、バスは8時で終わりです。タクシーに乗って、運転手にメーターを倒せと言ったら、直ぐ降りろです。普通は5,6元で行くところを10元要求します。降りてから色々なタクシーに当たりましたが、どのタクシーも10元を要求します。どうも話しが決まっているようですので、あきらめました。

街の中心部に広場があり、汽车站も側にあります。初めての街では中心部か、汽车站の近くに宿を取ると移動が便利です。中心広場の側には沢山の宿がありますので、我々4人はそれぞれ別々の宿に行き値段と部屋確認をして再度汽车站前に集まることとしました。我々の宿の価格の目安は、大きな街では180元位、小さな街では100元位の賓館としています。宿は20元の招待所からありますが、空調があり、温水シャワーが出て、人数分のタオルがあれば充分です。漢中では1泊80元(二人部屋)の賓館にしました。

漢中は都市としては開発が遅れていますが、西安に比べて涼しく周辺農家も豊かな感じがしました。見所は、武侯祠・武侯墓、そして周代に切り開かれた漢中から宝鸡に抜ける40kmの川沿いの石門桟道です。


b0098096_4273150.jpg武侯祠は成都にもあり、全国に4、5ヶ所あるようですが、中国の人は諸葛孔明、劉備がとても好きなようです。ただ、何処も明、清時代に建造した建造物ばかりで、時代を感じさせないのは残念です。




b0098096_4291537.jpg 
石門桟道は修復して一般客が途中まで通れるようになっており、漢江の支流の崖に作った桟道の趣が残っています。道幅が1m程で諸葛孔明が軍隊や軍事物資を運んだ道です。諸葛孔明は此処で物資を運搬するために一輪車の荷車を考案したそうで、博物館に模型がありました。途中20m程の岩を繰り抜いた場所があり、其処に有った石碑は博物館に移されています。歴史や書道が判る人には貴重な遺物だそうです。
 漢中の街は、大きな道から一歩裏道に入ると、道路一杯に屋台や椅子、テーブルが出ており、昼間から賑わっています。道端料理もなかなか美味しいです。

漢中から帰って来ても、帰国や遠隔地旅行に行くには未だ時間的な間がありますので、12日の夜からまたおじさん4人で延安に行って来ました。

b0098096_4331099.jpg12日午後11時40分の软卧で出発し、朝7時30分頃到着です。延安火车站には丁度黄河壷口瀑布行きのバスがあり、3時に帰って来るということでしたので、飛び乗りました。黄河壷口瀑布は延安の東方約100kmにある滝です。正確には良く判りませんが、4、50m程の落差があり、川幅も狭くなっていますので中々豪快でした。宿は扬家岭石窑宾馆といいまして窑洞(ヤオトン)風に作ったホテルで革命旧跡の一つである扬家岭革命旧跡の中にあります。初めて予約をしました。階段方式で8層あり、全部で300室位のホテルです。サービスや部屋の造りは今一ですが変ったホテルを堪能しました。

b0098096_4393333.jpg延安は中国革命の聖地といわれるとおり市内至る所に革命旧跡があります。詳しい話は内田先生に聞いていただくとして、江西省に本拠地を持っていた毛沢東らの中国共産党は国民党に追われ、いわゆる長征を経て1935年に延安に本拠地を移したということです。その後も1947年頃まで共産党の書記局があったそうです。

b0098096_43465.jpg中国の現代史や延安の見所を良く知らない我々は、市の一番北にある棗園革命旧跡を先ず見て、それから中心部にある宝塔山に登り、市内を見渡してから、次に何処に行くかを決めるということで、14日をスタートしました。宝塔山は市内を流れる延河の南側の小山にそびえる八角九層の塔で、延安のシンボルとなっています。夜はライトアップされて大変優雅です。

b0098096_4362443.jpg次に行く場所を決めていなかったのですが、宝塔山の北側にある清涼山の上に道教寺院の変った建物がありますので、タクシーで山頂に行き、歩いて降りて来ることとしました。山頂の伽藍以外に、山の南側の60度位の斜面に5,6層の建物もあります。南側が参道になっており、急勾配の階段が続いています。降りるだけでも大変です。山の下の方には万仏石窟や革命旧跡があり、予想以上に面白い場所でした。山頂の太和山の入館料は2元でしたが、麓からの入館料は31元です。タクシー代は30元でしたので、得をした感じがしました。

b0098096_43745100.jpg15日は、宿の側の扬家岭革命旧跡と王家坪革命旧跡に行き、南の延安汽车南站に向かって移動することとしました。延安革命記念館は建物の全面立替で拝観出来ませんでしたが、どの革命旧跡にも毛沢東、周恩来、朱徳、劉少奇らの旧居があり、しかも全て窑洞方式でした。窑洞は黄土高原の山崖に作った洞穴方式の住居で、延安では現在も至る所にあり、生活に使われています。延安は街そのものが天然の要塞で窑洞は防空壕も兼ねているという感じがしました。上下水と電気さえあれば夏は涼しく、冬は暖かくて快適なようです。不思議と開口部が全てアーチ型で大きさもほぼ同じですが、枠組みや桟に工夫を凝らして特徴を出しているようです。

昼頃に延安汽车南站から高速バスに乗りました。切符に書いてある時刻に係わらず、満員になれば発車です。昼飯を食べるつもりで遅い時間にしたのですが、直ぐ乗れということで、途中のサービスエリアでパンを買うこととしました。私がバスの中で新聞を読んでいましたら(見出し程度しか読めませんが)、隣の人が貸してくれということで貸したところ、後は周りの人が回し読みです。ついに私の処には帰ってきませんでした。
途中事故が有ったようで1時間ほど遅れて7時間掛りました。

今日から部屋の方付けを始めています。帰国は青島経由で下関行きのフェリーに乗り、北九州空港から羽田に25日に帰る計画です。青島には3泊して街を堪能してきます。
フェリーは37時間です。時間が有りますのでゆっくり帰ります。

8月頃からまた皆さんの仲間に入れてください。
宜しくお願いします。

再見!
2009.7.16
長尾圭介

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by zuixihuan | 2009-07-19 04:47 | 西安便り | Comments(1)

西安便り2-5



西安便り2-5(09.6.12)

你们好!

“中国だい好き”の皆さんお元気ですか。

 今学期も後1ヶ月程となり、最近我々日本人留学生の間では、次は何処に行こうか、どのルートで帰国するか等が話の種になっています。そこで、先ず2人の同学と授業をサボって四川省に行って来ました。行きは飛行機で九寨沟空港に行き、黄龙→九寨沟→成都→乐山と周り、帰りは成都発の火車です。
九寨沟2泊・成都3泊・車中泊で6泊7日の旅でした。

 長閑な九寨沟空港に降立ちますと、出口付近に観光バスの案内所があり、黄龙行き、九寨沟行き、黄龙経由九寨沟行きの3ルートのバスがありました。我々は早速、黄龙経由九寨沟行きに乗り込みましたが、乗客はドイツ人2人、オーストラリア人2人、日本人3人の7人でしたので、大型バスから小型バスに乗り換えて出発です。

 黄龙は全長7,5kmで全域を遊歩道が整備してあり、予想以上に素晴らしいところでした。海抜3000m以上有るということで、10分歩いて5分休憩です。高山の影響を始めて体験しました。先ず胸の上の方が痛くなり、次に眩暈のようにボーとして来ます。高山病対策は、空気が薄いので呼吸の回数を増やし、水を多く飲んで新陳代謝を促進することで、出来るだけ体を動かしたほうが良いと本に書いてあります。酸素ボンベを持参の人もいましたが、上流部では横になっている人も多く見かけました。


b0098096_1556369.jpg 黄龙の水は石灰が多く含まれており、それが湖底や湖岸に乳白色の結晶として付着しているということで川底が白く水の碧さが際立ち、また棚田の様になっていますので、素晴らしい景観でした。最高地点では5500mの玉翠峰が見えます。周囲の5000m級の山々の雪解け水が流れ込んでいるようです。


b0098096_15572134.jpg九寨沟は規模が大きく、3つの渓谷と100以上の湖沼、20弱の滝があり、全長50kmあるということでしたので、歩けるかどうか心配していましたが、専用の巡回バスが運行しており、それぞれのスポットで降り、見たいところを見たらまたバスで移動する仕組みになっていました。丸1日あれば比較的楽に見ることが出来ます。ジックリ見るなら2日掛けると良いと思います。
時期的には、夏の雪解け水の多い時期か、10月の紅葉時期が良いといっていました。今は水量が少なく、一つの渓谷は大分水が枯れていたのは残念でしたが、それでも新緑時期で石楠花や高山植物が咲いており、全体の景色は素晴らしいものでした。
九寨沟はアバチベット族チャン族自治州の北東部に位置していますので、チベット族の衣装を着た人も多く、また建物が独特の形や彩色をしており、異国情緒もあります。地震被害はかなり有ったようですが殆ど修復したようで、街を歩いていても建物などの倒壊痕跡は気が付きませんでした。ただ、道路脇に大きな石があり、地震でその場所に落ちてきたという碑文が書いて有ります。

九寨沟から成都まで450km、バスで10時間の予定で移動です。初めはどのルートを通るのか判りませんでしたが、1時間ほど走ると渓谷の川沿いの道となり、至る所で道路の補修工事をやっています。初めは地震の復旧というより、復旧した後で川が洪水となり、曲がった箇所の護岸を削った為に川沿いの道の工事をやっているようでした。工事箇所は片側通行ですので、危ないところも随所にあります。

ふと川の標識を見ましたら「岷川」と書いてあります。あの昨年5月12日の汶川大地震の震源地になった「岷江」の上流部のようです。その後も2、3000m級の木の生えていない山に囲まれた渓谷が延々と続き、道路の補修箇所が川沿いだけでなく山沿いも出てきて、全長の道路補修箇所は200を越えると思います。
道の所々に緑と集落があり、初めはチベット族の集落でしたが、次はチャン族の集落となります。家の造りと彩色そして道筋に居る人の衣装が独特で、こんな山の中には山岳民族でないと住めないと感じます。バスの中では寝ている人も多く居ましたが、私は段々目が冴えて来ました。沿道では枇杷とサクランボの収穫時で露天が沢山出ています。枇杷は1斤4元でした。取立ての果物は最高です。
5時間ほど経つと、周りの景色が変ってきました。相変わらず道と川の両側は延々と高い山が続きますが、至る所で富士山の大沢崩れの様に山頂から川筋のように崩落跡があります。

b0098096_1601296.jpgそして、7、8時間でついに汶川县に入りました。道は川の両側にあった様ですが、対岸の道は飛び飛びにしかありません。対岸は完全に崩落に飲み込まれています。沢筋では土石流が川に入りダムを作ったと思われる箇所も随所にあります。軍隊がダイナマイトとバズーカ砲でダムを壊したのはこんな所かと思われる箇所も有りました。街の中心部では何本かの橋が崩落したままで、瓦解した建物も残っており、地震の規模の大きさを感じました。
何より感心したのは、5月に地震が発生し、11月に道路を復旧したそうですが、新たに作った橋が7、8本、トンネルが5,6箇所で20数km程あり、道路も付け替えたところが多く有ります。国を挙げて大量の資機材と人を投入したことが想像できます。渓谷が延々と続きますので、道筋の集落は直接の被災だけでなく、半年程陸の孤島で生活していたものと思います。地震が300km程の長い距離で発生したとうろ覚えに記憶していますが、その全域を見たような気がします。
長いトンネルを抜けると都江堰の大橋に出ました。やっと山を抜けて平地に出てきました。此処から成都までは65kmです。成都についたのは夕方の7時です。10時間の予定が2時間遅れです。沿道が余りにも凄かったので、12時間が長く感じませんでした。

b0098096_1605452.jpg成都泊の翌日は楽山に行きました。バスで片道2時間です。足に自信があれば峨眉山に回るのですが、我々は段々疲れが足に来ていましたので日帰りで成都に戻りました。楽山の大仏は8世紀に「岷江」の氾濫を沈めるために作ったそうです。漢代の麻浩崖墓や寺院・石窟があり中々面白いところでした。


b0098096_15541915.jpg 成都の街では高層ビルは多くありませんが、落ち着いた綺麗な大都市で大変気に入りました。チベット人の町もありましたので、四川料理とチベット料理を楽しみました。岷江の川筋に山椒の木が沢山ありましたが、舌が痺れるような山椒はどうも馴染めませんが。
帰りは硬卧で18時間です。硬坐は苦手ですが、硬卧は中々快適です。

 中国だい好きの皆さん、また是非中国に旅行に来て下さい。中国は公共投資が盛んで、成都でも地下鉄工事やビル建設を盛んにやっていました。
1、2年で街が変化しますよ。

再見!
2009.6.12
長尾圭介

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by zuixihuan | 2009-06-15 15:51 | 西安便り | Comments(0)

西安便り2-4(09.5.26)

你们好!

“中国だい好き”の皆さんお元気ですか。

 西安は2週間ほど雨が降り続きましたが、先週初めからやっと晴れ間が出てきましたので、週末久しぶりに郊外に出て来ました。行き先は西安の南部にあります草堂寺です。

 西安の南部30kmから50kmの範囲に20程の古刹がありますが、その中でも興教寺、香積寺、草堂寺が有名です。玄奘三蔵の墓がある興教寺には以前行ったことがありますが、草堂寺は案内書にも道順をはっきり書いて無く、何となく躊躇していた場所です。今回は、日本人留学生2人を誘って行って来ました。

 先ずは、交大南門から401路バスで城南バスターミナルに行き其処で戸県行きのバスに乗り換え、更に九号路で草堂寺行きのバスに乗り換えです。「地球の歩き方」には「九路口」と書いてあるのですが、バスの切符の行き先表示は「九号路」となっており、更にバス停で看板を見ましたら「五九什字」となっています。意味が同じことは判りますが、表示が何種類も有るのは不思議な気がします。バスの所要時間は2時間程ですが、九号路から草堂寺行きのバスは30分に1台で、満員の場合には乗せてくれません。1時間待ちでした。草堂寺行きのバスにはバス停看板がありません。交差点近くなるとバスはクラクションを鳴らします。長閑なものです。折り返し点が丁度草堂寺入り口で、伽藍はそこから10分ほど徒歩です。

 西安の西部には麦畑と林檎、梨、棗の果樹園が多く有りましたが、南部のバス沿線は一段と長閑で、一面の麦畑と葡萄畑が点在しています。この地域の葡萄は有名で葡萄研究所があるそうです。麦は茶色に色づきそろそろ借り入れ時です。

b0098096_9293779.jpg草堂寺の周辺では丁度菜種を収穫しており、山門前の広場も菜種を干して杵で打って脱穀していました。また、畑で収穫した菜種は荷車で家の前の道まで運ぶ人もおり、家のまでの道路一面に干していました。昔日本でも見たような景色で、草堂寺は大本山というより田畑の中の大寺院といった印象でした。

 b0098096_9283213.jpg草堂寺は五胡十六国時代の鳩摩羅什(350~409)が3000人の弟子と共に経典の翻訳を行った場所として有名です。中国の仏教経典は唐代の玄奘三蔵による訳経を「新訳」といい、鳩摩羅什三蔵から玄奘三蔵までを「旧訳」といい、それ以前を「古訳」と呼ぶそうです。
日本の仏教にとっても、玄奘三蔵より鳩摩羅什三蔵の影響の方が大きく、この訳経を基に聖徳太子の「三経義疏」や「十七条憲法」も書かれ、また天台、禅、日蓮、浄土諸宗の訳経によるといわれています。特に、訳経の一つである「法華経」は日蓮宗の教義の原点といわれています。


b0098096_933041.jpg草堂寺は唐代以降、何度も兵火に遭ったため、明清時代に再建されましたが、諸堂宇は文化大革命でことごとく破壊され、往時の建造物は鳩摩羅什の舎利塔と小堂だけがかろうじて残っています。高さ3mほどの舎利塔は小堂の中にありますが、全て玉で造形されており、参詣者が手で撫で触ったために彫刻は磨り減っていました。

現在の伽藍は日本の法華経信徒(日蓮宗)を中心とした諸国の献金により復元したものです。2000年と2006年の再建の記録があり、他の堂宇の再建を継続しているようです。
 新しい伽藍と判って「何だ!」と思いましたが、そこに行きますと1600年の歴史を感じ、日本との関係を知ることが出来、幸せな一日でした。

今度は帰国するまでに、日本の浄土宗の法然に大きな影響を与えた、7世紀創建の香積寺に行って見たいと思っています。日本の浄土宗では香積寺を「祖庭」と呼んでいるそうです。

中国だい好きの皆さん、歴史散歩は楽しいですよ。

再見!

2009.5.26
長尾圭介
 

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by zuixihuan | 2009-06-05 09:37 | 西安便り | Comments(0)
西安便り2-3(09.5.9)

你们好!

“中国だい好き”の皆さんお元気ですか。

b0098096_2214012.jpg西安は牡丹も芍薬も終わり、今は薔薇とスミレが満開です。交大の校内も隣接する興慶宮公園も何時も何かの花が咲いています。交大の近くには3件の花屋があり、日本の花屋と変らない程の花や鉢を売っています。西安市民は樹木や花を大変大事にしており、また楽しんでいるようです。



b0098096_2242916.jpg交大の北側に興慶宮公園がありますが、道を隔てただけですので、校内の延長のような気がしており、良く散歩に行きます。一周して帰ると1時間から1時間半位かかります。






b0098096_222591.jpg公園の北門周辺では朝6時ごろから毎日朝市が行われており、野菜を中心に、果物、肉、魚そして粽や小吃等を売っています。野菜は見るからに新鮮で一番売れているようです。肉は豚肉が中心で、見た目は新鮮で、これも良く売れています。魚は一寸干からびた感じで、買う人が居るのかなという感じでした。果物は瓜が旬で、西瓜、マクワ瓜、ハミ瓜と種類も多く、またサクランボや桑の実もあります。瓜は中々美味しくて、2、3個買って冷蔵庫にストックしてあります。

以前にも書きましたが、交大のキャンパスは約2万人の学生が全寮制で生活しています。広い構内には陸海軍や警察の出先事務所、郵便局、銀行、病院等の公共的な施設に加え、複写センターや携帯電話会社の店舗、そして生活に必要な食堂、食品や雑貨の売店、本屋等が点在しています。

b0098096_2202657.jpg面白いというか変った施設では、浴場があります。本科生の宿舎の大半は風呂もシャワーも付いていないようで、週何日か浴場(シャワーのみで仕切りも無いようです。)に行かなければならないようです。留学生楼の近くに給湯センターがあり、学生は毎日授業に出るときに大きな魔法瓶をセンターの前に置き、帰りに持ち帰るようです。顔を洗うだけではなく、体を拭いたり、お茶を飲んだり、お湯は大事に使っているようです。
我々日本人の感覚からするとシャワーしかないということですら違和感がありますが、中国人の学生たちは上手に生活しているようです。

b0098096_2255347.jpg校内の奥まったところに白居易(772-846)の遺跡を見つけました。6年間住んだ寓居の跡地で、東亭という小さな庵と石碑があり、小さな公園になっています。白居易は洛陽に生まれで龍門石窟に隣接した寺にその墓があります。詳しいことは判りませんが、30歳代の頃は長安におり、40歳代中ごろからは杭州・蘇州等に赴任し、66才頃中央に戻って71歳まで任官したよう。この晩年の寓居かもしれません。最晩年は洛陽の禅寺で過ごしたようです。西安は何処に行っても歴史があるので面白いです。
 
西安4週目、交大の日本語学科の学生や理系で日本語を勉強している学生と付き合い始めて、中国の大学入試事情が少し判って来ましたのでお知らせします。
全国統一試験は理系と文系に分かれており、高校も進路に応じたクラス編成になっているようです。理系の試験科目は英語・数学・国語・物理・化学、文系は英語・数学・国語・歴史・政治で、各科目150点満点。合計で750点満点です。
全国の最高位大学は清華大学で合格ラインは680点くらい、続いて北京・上海の理系大学で660点くらい、交大はその次だそうです。志望校は第1志望、第2志望があるようですが、第2志望への合格は中々難しいようです。また、大学の所在する市や省では若干の加点があるようです。
ところで、交通大学の日本語学科の各学年の生徒は30名くらいですが、90%は理系志望者であったそうです。どうも経緯は良く判りませんが、北京や上海に理系大学を第1志望にしており、若干合格ラインに届かなくて交大の日本語学科に来た人が多いようです。
日本語学科は女性が多いと思っていましたが、今期の1年生は男性21人、女性9人です。
就職については、殆どの人が西安ではなく、北京や上海に行きたいと言っています。

(追伸)
 最近の中国でのニュースは、5月12日で四川大地震の1周年を迎えますので、連日復興状況や耐震対策などが放送されており、全国的なキャンペーンのようになっています。  
新型インフルエンザの露出度は香港での感染者報道をピークに、極端に少なくなっています。また、新型インフルエンザの呼び方も、従来の“猪流行性感冒”から“全世界甲型HINT流行性感冒”に変っています。豚の価格下落の影響があったのかもしれません?
今日のテレビでは、日本の成田での感染者と厚生大臣の記者会見について報道していました。

中国、特に西安は春が短くもう初夏の陽気になっています。日本の梅雨の季節をとばして春が夏に直結しているようです。季節の変わりが早いとどうも戸惑います。
今回の留学は短いので、日本の夏ごろには帰国します。

 再見!

2009.5.9
長尾圭介
 

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by zuixihuan | 2009-05-11 22:09 | 西安便り | Comments(0)
西安便り2-3(09.5.9)

你们好!

“中国だい好き”の皆さんお元気ですか。

b0098096_1844966.jpg西安は牡丹も芍薬も終わり、今は薔薇とスミレが満開です。交大の校内も隣接する興慶宮公園も何時も何かの花が咲いています。交大の近くには3件の花屋があり、日本の花屋と変らない程の花や鉢を売っています。西安市民は樹木や花を大変大事にしており、また楽しんでいるようです。



b0098096_2242916.jpg交大の北側に興慶宮公園がありますが、道を隔てただけですので、校内の延長のような気がしており、良く散歩に行きます。一周して帰ると1時間から1時間半位かかります。






b0098096_222591.jpg公園の北門周辺では朝6時ごろから毎日朝市が行われており、野菜を中心に、果物、肉、魚そして粽や小吃等を売っています。野菜は見るからに新鮮で一番売れているようです。肉は豚肉が中心で、見た目は新鮮で、これも良く売れています。魚は一寸干からびた感じで、買う人が居るのかなという感じでした。果物は瓜が旬で、西瓜、マクワ瓜、ハミ瓜と種類も多く、またサクランボや桑の実もあります。瓜は中々美味しくて、2、3個買って冷蔵庫にストックしてあります。

以前にも書きましたが、交大のキャンパスは約2万人の学生が全寮制で生活しています。広い構内には陸海軍や警察の出先事務所、郵便局、銀行、病院等の公共的な施設に加え、複写センターや携帯電話会社の店舗、そして生活に必要な食堂、食品や雑貨の売店、本屋等が点在しています。

b0098096_2202657.jpg面白いというか変った施設では、浴場があります。本科生の宿舎の大半は風呂もシャワーも付いていないようで、週何日か浴場(シャワーのみで仕切りも無いようです。)に行かなければならないようです。留学生楼の近くに給湯センターがあり、学生は毎日授業に出るときに大きな魔法瓶をセンターの前に置き、帰りに持ち帰るようです。顔を洗うだけではなく、体を拭いたり、お茶を飲んだり、お湯は大事に使っているようです。
我々日本人の感覚からするとシャワーしかないということですら違和感がありますが、中国人の学生たちは上手に生活しているようです。

b0098096_2255347.jpg校内の奥まったところに白居易(772-846)の遺跡を見つけました。6年間住んだ寓居の跡地で、東亭という小さな庵と石碑があり、小さな公園になっています。白居易は洛陽に生まれで龍門石窟に隣接した寺にその墓があります。詳しいことは判りませんが、30歳代の頃は長安におり、40歳代中ごろからは杭州・蘇州等に赴任し、66才頃中央に戻って71歳まで任官したよう。この晩年の寓居かもしれません。最晩年は洛陽の禅寺で過ごしたようです。西安は何処に行っても歴史があるので面白いです。
 
西安4週目、交大の日本語学科の学生や理系で日本語を勉強している学生と付き合い始めて、中国の大学入試事情が少し判って来ましたのでお知らせします。
全国統一試験は理系と文系に分かれており、高校も進路に応じたクラス編成になっているようです。理系の試験科目は英語・数学・国語・物理・化学、文系は英語・数学・国語・歴史・政治で、各科目150点満点。合計で750点満点です。
全国の最高位大学は清華大学で合格ラインは680点くらい、続いて北京・上海の理系大学で660点くらい、交大はその次だそうです。志望校は第1志望、第2志望があるようですが、第2志望への合格は中々難しいようです。また、大学の所在する市や省では若干の加点があるようです。
ところで、交通大学の日本語学科の各学年の生徒は30名くらいですが、90%は理系志望者であったそうです。どうも経緯は良く判りませんが、北京や上海に理系大学を第1志望にしており、若干合格ラインに届かなくて交大の日本語学科に来た人が多いようです。
日本語学科は女性が多いと思っていましたが、今期の1年生は男性21人、女性9人です。
就職については、殆どの人が西安ではなく、北京や上海に行きたいと言っています。

(追伸)
 最近の中国でのニュースは、5月12日で四川大地震の1周年を迎えますので、連日復興状況や耐震対策などが放送されており、全国的なキャンペーンのようになっています。  
新型インフルエンザの露出度は香港での感染者報道をピークに、極端に少なくなっています。また、新型インフルエンザの呼び方も、従来の“猪流行性感冒”から“全世界甲型HINT流行性感冒”に変っています。豚の価格下落の影響があったのかもしれません?
今日のテレビでは、日本の成田での感染者と厚生大臣の記者会見について報道していました。

中国、特に西安は春が短くもう初夏の陽気になっています。日本の梅雨の季節をとばして春が夏に直結しているようです。季節の変わりが早いとどうも戸惑います。
今回の留学は短いので、日本の夏ごろには帰国します。

 再見!

2009.5.9
長尾圭介
 

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by zuixihuan | 2009-05-11 22:09 | 西安便り | Comments(0)