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by zuixihuan

南京の日中関係史史跡を見学しま

南京の日中関係史史跡を見学しました                                                
   内田 知行

 2010年8月1日から29日まで中国現地研修の引率者として上海にいました。13日から15日のあいだには、蘇州・南京への小旅行をしました。蘇州では、中国を代表する名刹・寒山寺や、真ん中から15度に傾いた「蘇州の斜塔」で有名な虎丘山を参観しました。蘇州のクリークでは、民船に乗って船遊びに興じました。クリークを渡るそよ風を受けながら、船頭さんが歌ってくれる蘇州の「民歌」を楽しみました。

 南京では、中華民国時代の史跡、総統府と孫文のお墓(中山陵)を見学しました。南京は戦争中の日本軍による占領の爪痕が残っている都市でもあります。南京では、14日の夜、南京大学歴史学院の曹大臣先生が会いにきてくれました。十数年来の旧友です。曹先生は近代日中関係史の専門家で、近年『近代日本在華領事制度』というライフワークを上梓されました。15日の午前中は、曹先生の案内で南京市内に残る日中関係史の史跡を巡り、その後「南京大屠殺紀念館」を見学しました。

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(旧日本領事館の建物)

 朝8時、ホテル出発。南京大学キャンパスの近くでバスを下車して、日本軍占領時代の日本大使館跡(今はまったく違う建物になっている)と隣の日本領事館の建物(「三陵科技」という看板を掲げた会社の事務所になっている)を見ました。南京に1940年3月に汪精衛「国民政府」が設立されると、実態は日本軍占領下の「偽政権」でしたが、名義上は独立国として遇されました。そこで、南京に大使館が発足しました。他方で、汪政権の在日大使館も1941年1月に東京に設立されました。もっとも南京の日本領事館設立は早くて、1908年6月に設立されました。領事関係業務を担当したので、大使館とは別に日本軍占領時代も併置されたのです。日本政府は中華民国にたいする外交上の呼称として「支那共和国」を使用していたが、汪政権の時代になって、初めて「中華民国」と呼称する政策を採りました。中国人が「支那」を蔑称として嫌ったのはいうまでもありません。旧日本領事館を見学したあと、南京大学の門からキャンパスに入りました。

 このキャンパスは1937年11月に南京虐殺事件が発生したときに「国際安全区」に指定され、駆け込んだ中国人難民を保護救済した場所でした。南京大学は民国期にはアメリカのクリスチャン系の大学、金陵大学でした。いまでもキャンパス内には重厚なその時代の建築物が残されています。当時の校長室の置かれた管理棟は、いまでは南京大学校長執務室の建物として使われています。その近くには昔のチャペルもあり、今では映画上映や集会などに利用されています。

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(旧南京神社の拝殿)

キャンパス内を少し歩いて、旧南京神社跡を見学しました。南京神社は南京大学の体育館の隣にあります。といっても現在残っているのは神社の一番奥に位置する拝殿の部分だけです。曹先生の調査によると、南京神社は日本軍占領時代の1939年ごろに建立されました。靖国神社を模倣して建てられました。日本軍占領時代の中国には多くの神社が建立されましたが、南京神社は中国大陸に今でも残存する数少ない神社だそうです。大きな神社の鳥居は大学の体育館建設時に取り壊されてしまいました。拝殿は屋根のある建物だったので、転用が利きかろうじて残されたのだそうです。でも、戦時中神社の拝殿だったことを知る人はほとんどいないそうです。なお、華中占領地の戦闘で戦死した日本兵は南京の近くで火葬され、遺骨は一時的に南京神社に保管されました。遺骨は一定の期間ごとに上海港経由で日本に送られました。そのさいに遺骨の一部は分骨されて南京神社にも置かれたそうです。日本に移送された後は、陸軍墓地や海軍墓地、さらに出身地の墓地に埋葬されました。神社を建立し管理する団体として当時、英霊顕彰会が設立されました(1939年)が、これが戦後の日本遺族会です。

 今回は見学の時間がありませんでしたが、曹先生によれば、市内の菊花台には日本人墓地跡があります。これは、20世紀初頭以降に南京にやってきてここで死去した日本人を葬った墓地で、戦争とは直接関係のない死者の墓地です。ちなみに、日中戦争直前の1937年頃の「日本帝国臣民」居留者の統計は下記のとおりです(曹先生の示教)。

   区分   南京市         (参考)    上海市 
  日本人   163人               23772人
  朝鮮人   243                 2227
  台湾人    38                  678
   計    444人               26677人
 南京に「日本人」が激増したのは、占領以降だったことがわかります。

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(南京大虐殺記念館)

 「史跡巡り」を終えたあと、バスで「南京大屠殺紀念館」に向かいました。この紀念館は、「愛国教育基地」の一つということで、数年前から見学無料になっています。
 入場すると、野外のオープン・スペースに犠牲者を追悼する彫像作品がいくつも展示されています。大きな壁面に「犠牲者30万人」という数字が中国語、日本語、英語、ハングル、フランス語、ロシア語、その他多くの言語で刻まれています。30万人という数字については日本人の中には異論もありますが、これは中国人が犠牲者を悼んで建立した博物館です。死者は言葉を発することはできませんから、正確な数字は捉えようがありませんが、この数字を支持できない人も中国人の推定数字として尊重すべきでしょう。要は数字の差ではありません。30万でも20万でも、15万でも5万でも無辜の人間が大量に虐殺された史実には変わりがありません。30万というのは調査研究の過程における暫定数値にすぎないのです。

 開戦直前の1937年5月の南京地区の人口は下記の通りです(館内展示)。
      南京城区   85万5632人
      南京郷鎮   16万1182人
       計    101万6814人

 展示では、占領以前の1937年7~10月には日本本土からの洋上爆撃によって南京市街は大きな被害をうけたこと、中国空軍兵やソ連の義勇兵による迎撃戦によって日本軍航空兵も撃墜されたことが説明されています。撃墜された日本軍パイロットの捕虜らが厚い冬用コートを着て立っている写真もあります。日本軍が捕虜を片っ端から殺したのに、中国軍がきちんと待遇したことがわかる材料です。日本軍の南京占領以前に日本軍と抗戦した国民政府各軍の将官の写真も経歴付きで展示されています。国民政府による南京地区の抗戦についても、きちんと歴史的評価をした展示になっているのです。

 1937年11月に設立された国際安全区(南京安全区国際委員会)の外国人指導者たちも写真入で紹介されています。ナチス党員だったシーメンス職員のジョン・ラーベ(同委員会主席)の業績は比較的詳しく紹介されています。当時の日独関係を利用してラーベが中国人難民救助活動の先頭にたったことがわかります。安全区の委員の多くはアメリカ人でしたが、なかに Bernhard A. Sindberg(ベルンハルド・シンベルク)というデンマーク人が一人いました。展示の説明によると、安全区の面積は3.86平方キロ、中には25か所の難民収容所があり、ピーク時には約25万人の難民を収容したそうです。

 南京市内には中国人経営のセメント工場がありましたが、展示の写真によると、その資産を日本軍の略奪から守るために「ドイツ・デンマーク合営」(徳丹国合営水泥廠)の看板と両国国旗を掲げていました。第2次大戦時代のデンマークはドイツ軍占領下の保護国でした。当時の国際関係を利用した知恵です。

 この博物館には10年以上も前に来たことがあります。そのときは規模も小さくて、文字通り虐殺の歴史だけを見せられたような記憶があります。今回館内の展示をみて思うことは、展示が冷静で客観的になったことです。すでに書きましたが、南京に駐屯し抗戦した国民政府各軍将官をきちんと紹介しています。蒋とともに台湾に逃げていった軍人たちも紹介していますし、大陸に残った軍人たちについては共和国時代の事跡も紹介しています。虐殺発生以前の戦争の経過、国際安全区を拠点にした外国人による各種の救援活動、戦後の裁判、幸存者の証言、日本人兵士の証言、欧米や日本側の史料の利用など、展示全体が構造的です。近年の日中の学術交流や諸外国との学術交流の成果を反映したものになっています。展示の説明のなかでも出てくるのは「日軍」「日本軍」という言葉であり、説明の中には反日本人の感情を醸成する「日本鬼子」「東洋鬼子」「日寇」などという言葉はひとつもありません。歴史を忘れないという意味で「南京事件」の記憶を中国人の民族的記憶として定着させるという努力はしているものの、それを反日感情の形成に誘導するということは戒めているという見識が展示全体から伝わってきます。日中関係が安定して成熟した関係になりつつあることを反映しています。

 あとで紀念館を見学した感想を一緒に行った学生さんに聞きました。感情的反発が先行して展示の内容から歴史の体験をきちんと受けとめることのできない学生がいたことは、惜しまれました。
 15日の午後5時すぎ、上海に到着しました。帰路は順調でした。


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by zuixihuan | 2010-09-24 08:08 | 読者の投稿 | Comments(0)