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雲南便り4-(2) 怒江の旅

雲南便り4-(2)
怒江の旅

中国だい好きの皆さん:

ご無沙汰しています。

昆明は、ジャガランダの花が咲き、ブーゲンビリアンも花数を増やして初夏の陽気です。市場にはヤマモモ(杨梅)やライチ(荔枝)や葡萄が出始め果物は豊富です。
3月、4月は少し寒かったのですが、5月に入り急に暑くなってきました。
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労働節の休みを利用して、雲南師範大学日本語学科の先生をしている北海道出身の田保さん夫妻と、ビザなしで旅行に来た沖縄の新城さんと一緒に雲南省の北西部を流れる怒江の上流部に5泊6日の旅行をしてきました。
田保さんはまる7年、新城さんは通算4年昆明に住んでいますので雲南省の殆どの地域を旅行しています。私も北の香格里拉、丽江、大理、南西の西双版纳、元阳、東の罗平等主要な地域を旅行しましたが、北西部の国境付近は未だ行っていません。其処で意見が一致し、この旅を計画しました。

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 雲南省の北西部から四川省の北西部までの地域は、ヒマラヤ造山活動の時期にインドプレートとユーラシアプレートが衝突して形成された褶曲(しゅうきょく:ひずみによって皺をよせたように波型に曲がった)山脈が連なる高山地帯です。
雲南省北西部は西に高黎贡山山脈、間に怒山山脈、東に云岭山脈が走り、その100km程の間をチベット高原に源を発する、怒江(ミャンマーに入ってサルウイン川)澜沧江(ラオス、ベトナムを通るメコン川)と金沙江(長江)の三本の大河が300kmに亘って並行して流れる“三江并流”と呼ばれる地域があります。氷河と大河の水が両岸を険しく切り取り典型的なV字谷になっており、河の標高が1500m両側の山が更に1000mと急峻で、横断する道は有りません。
怒江一帯は怒江傈僳(リス)族自治区となっており、北にチベット、西はミャンマーに国境を接しているドン詰まりの地域で、リス族、怒族、白族、独龍族が暮らしています。
 昆明から三江并流の怒江中流域の“福貢県”まで長距離バスが有るので、バスを乗り継ぎ“貢山県”まで行き、其処に3泊して雲南省最北部の“丙中洛郷”と“独龍江郷”に行くこととしました。往復は寝台バスです。

 4月29日午後7時、昆明市西部客運駅から長距離夜行寝台バスに乗り出発です。

ベッドは3列で上下2段、35,6人乗りで、運転手は2人です。以前乗ったバスのベッドは板にシーツをかけてだけで痛くしかも暑かったのですが、今回はマットが敷いてあり、空調も効き快適でした。中国の長距離バスは到着時間があてになりません。福貢県に昼前に着くはずが、交通事故で1時間停まったり、武警の検問に時間がかかったり、3時間ほど運転手が寝たりで着いたのが午後3時です。乗合いバスに乗って貢山県に着いたのは午後7時で、所要時間24時間です。
 
三日目はタクシーをチャーターして“丙中洛郷”です。距離が有るのでチャーター料は400元で了解しました。丙中洛郷は貢山県の北42kmでチベットに接しています。道は舗装してありますが3時間かかります。
怒江沿いは大きく地形が変化し、1000mの谷底に川が流れ、奇景絶景が随所にあります。特に川幅が200mに狭まり両側に500m程直の絶壁が聳える“石門関”、川が360度湾曲する“怒江第一湾”、半島状の平地に畑が広がる“桃花島”なだらかな山の斜面に牧草地が広がり家の点在する“霧里”等の景観は素晴らしいものです。

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 丙中洛郷には怒族、リス族、白族が生活していますが、山岳地帯ですので耕作地率が2%程度で、しかも平均25度の傾斜地です。主な農作物は麦、トウモロコシと僅かな米で、黄牛、ヤギ、豚、鶏等を飼っています。現金収入は薬草、胡桃、茸、白酒等で1家の収入が年間4000元(2006年調査)程度の貧困の村です。
この村の特徴は寒冷な高山草原気候にも関わらず家屋が木造スレート葺であることと、村に天主教(カソリック)、基督教(プロテスタント)、喇嘛教(ラマ教)が平和に併存していることです。民族間の差別もなく、1家族で複数の宗教という場合もあります。社会的な問題としては、どの家庭でも酒を大量に造っており、良い酒は街に売りに行くこともあるようですが、朝から酒を飲んで事故や事件を起こしているようで、一番の問題になっています。次は教育問題で、義務教育とはいえ食費などで月300~400元程掛かるらしく、この負担が重いようです。

道を走っていると教会が見えましたので、村の中に入ってみました。怒族の“双拉村”でどの家も木造で1階が家畜小屋、2階が住居、3階が倉庫です。丁度作業をしている家族がいましたので覗いてみますと、牛糞を籠に乗せ、頭に担いで、300m程谷を下り、また300m程登った畑に運んでいました。この村の人は良く働います。教会は牧師さんが亡くなり閉鎖していましたが、祭壇には十字架とマリアさんのイコンがありました。

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他の怒族の“打拉村”にも行きましたが、村の集会場の様な処に30人程集まり、昼間から酒を飲んでいました。村によって違いが有るようです。
 
四日目は“独龍江郷”です。前日と同じ車をチャーターしました。独龍江はチベット高原に源を発する4本目の大河で、ミャンマーに入ってエーヤワティ川、イラワジ川となります。独龍江郷は西に高黎貢山、西にミャンマーの高山地帯に挟まれ孤絶した標高3200mの川沿いの村落で、中国最少の少数民族である独龍族が2000年前から住んでいます。今は吊り橋が沢山架かっていますが、以前は“溜索”と言われる1本の索道で馬も人も川を渡っていたようです。
古来近くの街である“貢山県”に出る為には4000m級の高黎貢山を峠越えするしかなく、更に10月から翌年の4月までの半年は雪で閉ざされ、孤立状態でした。それでも塩や茶等の必要な生活物資を確保するために、雪が解けると山の幸を人が背負うか馬に乗せて、年1回2日掛かりで里に出たようです。
1999年高黎貢山を峠越えする道幅3mの公道が開通し、雪が解ければ車でも行くことが出来るようになりました。それでも車で5時間、危険な峠越えは馬か徒歩で5時間、合計片道10時間掛かる僻地です。2014年4月に6kmの高黎貢山トンネルが貫通し、10月から一部開通しましたので、10km程道が短縮され、今では貢山県から4時間程で行くことができます。それでも、トンネル部分を除き90km程の道は九十九折りの連続です。
人口は7000人程で、父系氏族下の家族制度を守り、道に落ちているものを拾わない、家の戸締りはしない等助け合いと社会秩序を守る社会を維持しています。アミニズム信仰ですが、キリスト教やラマ教も入っているようです。

家は木造平屋の隙間だらけの校倉造りで、一間の真ん中に囲炉裏を設け、その周りに寝る暮らしです。耕作面積が少ないことから穀物の収穫量が少なく、採集や漁獲狩猟で補完する原始的な生活を送っていました。古来よりリス族などの略奪が有り、女性は10歳で口の周りに入れ墨をする習慣がありましたが、1967年に禁止され、現在は老婆だけに見られます。

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 川が蛇行して流れる平坦な土地は、新築した8階建てほどの小ぶりなホテルが15棟ほど建ち、周辺部の傾斜地や対岸に町営住宅の様な家が建ち、更に離れた場所には粗末な木造平屋の家が建っています。村で出会ったお爺さんは快く家に入れてくれましたが、入れ墨をしたお婆さんはカメラを構えると拒否し、金を払うと言いますと100元よこせと言います。手持ちの小銭60元を払いましたが、不満な様でした。

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他の少数民族の様に踊りや民族資料館等の施設もなく、初めて来る中国人はホテルに泊まって翌朝さっさと帰るようです。2006年の村人の平均月収は500元程でしたが、中央の資本が入り急激な開発が進められていますので、村としての経済活動は活発になっているようですが、雇用が伴っているようには見えません。西双板納の基諾族の村は観光客を受け入れる民族センターと余人を入り込ませない氏族だけの地域とを併せ持っていましたが、原始的な少数民族の現代化は時間をかける必要があると思いました。
 
道中の道は険しく、未だこんな生活をしている少数民族もいるのかと言う驚きもあり、貢山県に帰ってくると、タクシーの中で拍手をし、500元のチャーター料に100元チップを上乗せして払いました。中国の色々な地域を旅行しましたが、今回の様に山奥の村落まで入ったのは初めてで、大感激でした。

 5日目は、朝8時に貢山県を起ち、昆明の西部客運駅に着いたのは、翌朝7時でした。
以上

2015年5月8日
長尾圭介

by zuixihuan | 2015-06-04 14:51 | 雲南だより