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蘆溝橋事件70周年記念日に

【投稿者】 内田 知行
【タイトル】 蘆溝橋事件70周年記念日に
                                 
2007年7月7日は、ちょうど日中開戦のきっかけとなった蘆溝橋事件70周年の日でした。

今年は、1972年9月の日中国交正常化35周年の年でもあります。当日は、東京都日中友好協会(NPO法人)主催の活動にでかけてみました。神宮外苑前の青山梅窓院で講演とマリンバ演奏による音楽会の集いが催されました。講演者は元自民党代議士・野中広務氏で、演題名は特に掲げられませんでした。

自民党内の保守リベラル派として活躍しましたが、2003年に衆院議員を任期満了したのをきっかけに政界を引退した人物です。代議士・閣僚時代に中国側要人と密接な交流をもち、中国の指導者層にいまでも知己が多いようです。その経歴を買われて、2004年から社団法人日中友好協会の名誉顧問に任じられました。講演は、代議士・閣僚時代の自分の対中国議員外交についての体験を紹介しつつ、昨今の日中関係についても言いおよぶという、一種の漫談でした。

それでも、歴史認識その他の問題をめぐっては首肯できる発言が少なくありませんでした。歴史認識の問題をめぐっては、次のような発言が心に残りました。「現在でも戦争の傷跡が修復しきれないでいる。大変残念に思う」、「満州国という傀儡政権をつくったことが戦争の発端のひとつであったが、日本はいまだに中国に償いきれていない。申し訳なく思う。そして、今の日本には平和を脅かす動きがある」。中国の閣僚との信頼関係の構築のためには、「率直に意見を言い、率直に耳を傾ける」ことが必要であると述べ、自分はそれによって信頼関係を作ってきたと自負が語られました。

1990年代の日中議員外交の裏話も紹介されました。そのなかで興味深かったのはリニア実験線の実用化の可否をめぐる中国首脳との対話です。江沢民や朱鎔基らが来日したとき、彼らはいずれも山梨にあるリニア実験線の見学を要望したそうです。彼らは北京~上海の高速鉄道をリニア方式で導入しようと考えていました。新幹線についてはあまり関心をもたなかったそうです。リニアを見せながら野中氏は、彼らの希望にたいして、新幹線は開業して40年たつが一度も事故を起こしたことがない。リニアはまだ実験段階にすぎないから、とうてい技術供与はできない。中国人民の生命のリスクを負うような技術供与はできない。新幹線ならば技術供与は可能であるが、と提言したといいます。現在、北京~上海高速鉄道はリニア方式をあきらめて、国際競争入札によって部門別の技術導入を始めています。

2003年秋、経団連首脳と温家宝首相との会見を裏面でセッティングした、という裏話もおもしろい内容でした。念願の会見が実現するというので、経団連会長の奥田氏(当時)がお礼に来るという連絡がありました。ちょうどその時、野中氏は政界引退を表明しました。すると、奥田会長の訪問はうやむやのうちに流れてしまったそうです。「恩義があったとしても、政治的な実力のなくなった人物にはもう会いにいく必要はない」という人間についての値踏みの仕方に、(野中氏ははっきりとそういう言い方を講演でしたわけではありませんが)えらく落胆したようでした。「そういう発想で経済界が中国と対応するのでは困る」。国家の代表としては、中国の首脳のような信義を重んじる外交をしてもらわなくてはならない、というのです。私は、「井戸を掘った人をわすれない」という中国人のものの言い方を思いだしました。

野中氏の話は後段になって、現在の政局に及びました。彼は、小泉前首相の「改革なくして成長なし」という掛け声の空虚さを批判し、「改革」の中身を議論しないままの物言いに国民は踊らされてしまったといいます。次いで、後継の安倍首相については、「一遍アタマでもなぐってやろうかと思う」という発言で聴衆の喝采をとったまではよかったのです。しかしそのあとは、これでもかこれでもかという国会強行採決の積み重ねや年金問題をめぐる不実な対応にもかかわらず、首相への同情と安倍政権への支援を呼び掛ける口調になってしまいました。

せっかくの「平和を愛する者はこの日を忘れない」(配布ビラの文句)講演が、これで興醒めとなりました。参議院選挙の直前に絶好の発言の場をえたということで、ご本人はついつい言ってしまったのでしょうか。蘆溝橋事件70周年の日の「日中友好協会名誉顧問」の発言としては、迷言でした。

前段の発言が興味深かったために、出来の悪い息子へのかばい立てが「玉に瑕」となりました。アア、残念。

by zuixihuan | 2007-07-18 21:04 | 読者の投稿