人気ブログランキング | 話題のタグを見る

重慶日記2 (2008年4月4日・内田知行)

重慶日記2 (2008年4月4日・内田知行)

 今日は中国の「清明節」です。先祖の墓にお参りして墓を掃き清める日です。今年から政府が国民の祝日に指定しました。国民ばかりか、これまで「マルクス・レーニン主義」をお題目にしてきた国家もまた中華民族の伝統への回帰を果たした、その象徴のような祝日といってもよいでしょうか。

 この5年間のあいだに家内の両親はあいついでなくなりました。墓は重慶市の西北の郊外、歌楽山の山の中腹につくられた公墓にあります。私にとっては3回目の墓参になります。兄弟やごく親しい親類が自宅マンション前に集まって、白タク2台に分乗して、午前11時過ぎに出発しました。総勢10人。うち成人は7人、中高生2人、幼児1人です。800ccの軽自動車アルトに中高生2人(一人は背丈が175センチに伸びたうちの息子)、成人2人(一人は私)、幼児が乗り込みました。もう1台の小型車に成人5人が乗りました。これにそれぞれ運転手がつくのです。家内はあらかじめ前日に乗用車を予約したときに乗車人数を伝えたはずなのにやってきた1台は軽自動車でした。2台とも定員オーバーですが、利用者も運転手も平然としたものです。出発して15分ほどすると山道になりました。目的地までは1時間あまり。それも後半は日光のいろは坂のような急なくねくねと曲がりくねった坂道です。「いろは坂」にいたる途中には、西南政法大学や四川外国語学院といった歴史のある大学があり、そのうえには国民党時代の暗黒政治を紹介する中国現代史の記念館があります。祝日の大学地区や公園地区ですから、沿道を多くの若者が歩いています。幸いと天気も花曇りです。「いろは坂」の沿道は木々の新緑がきれいですが、道は坂を上下する乗用車やバスによって舞い上がる土ぼこりや排気ガスで霞がかかったようです。その坂道を男5人を乗せたアルトがうんうんあえぎながらのぼっていきます。

 公墓の大門のなかは墓参客でいっぱいです。ここで墓参に不可欠な紙製品を売っている店の一つに行きました。墓石のまえで拝みながら燃やす紙製品です。天国にいる両親たちが不自由しないように、私たちも紙銭や3階建ての豪邸や家電製品や上着や腕時計やその他身につける装飾品を買いました。両親は運転免許はなかったので、大型乗用車は買いませんでした(もっとも最初に義父の墓参にきたときは買ってあげましたが)。最近売店で売り出している新製品は、華やかな服とスカートを身に着けた「傭人」(召使い)です。重慶では「召使い」ですが、広東省あたりでは「按摩小姐」(日本で言えばファッションマッサージ嬢でしょうか)や「二奶」(お妾さん)なども売り出しているようです。こんなものを送り込んだら、天国での安息をさまたげることになるのでは、という批判もあります(広州『南方都市報』2008年3月31日)。もっともな批判です。今日墓前で家内たちが天国におくった2人の妙齢の「召使い」が、やすらかに眠っている義父と義母のあいだに波風をたてないか、といささか心配です。買い物や料理など家事が得意で、相当の堅物だった義父には、若くて美人の「召使い」などきっと不要だろうと思います。たぶん、義母のマージャン相手になることでしょう。

 義父母の墓は山を開発した公墓のピークに近いところの区画にあります。私の両親が眠る東京の奥多摩霊園も山のピークにありますが、歌楽山公墓は奥多摩ほど急峻ではありません。1区画が幅1.5メートル、奥行1メートルといったところでしょうか。奥多摩霊園の墓石正面は「内田家之墓」と刻まれただけです。こちらは一族の墓ではなくて、両親だけの墓です。墓石の右に義父の生前の白黒写真が、左に義母の白黒写真がはめ込まれています。周りの墓石にも亡くなった人たちの白黒写真がはめ込まれています。さすがにカラー写真はありません。中国人には、自宅の床の間や仏壇の上に先祖の写真を飾るという習慣はありません。重慶の家内の家にも兄弟の家にも、葬儀に使った両親の写真は飾られていません。しまったか処分したかしたようです。仏式で葬式をやっても、位牌や仏壇を自宅に置くという習慣がそもそもないので、両親の写真を置いて拝むという行為はやりようがない、ということなのでしょうか。なくなった家族を毎日追慕できる場所が自宅にないというのは、日本人である私にはさみしいことです。せめて清明節のときぐらいは、盛大に紙銭をやいて墓石の前でにぎやかに供養をするのが、中国式の親孝行です。紙銭にはいろいろあり、なんの印刷もないちり紙様の紙から、多色刷りの「生意興隆」(商売繁盛)「全球通用」「世界銀行有限公司」と印刷した大版の1000億元札まであります。紙銭は大きな紙袋3袋分ほど買い込んで、墓前で一枚ずつばらして20分以上かけて燃やしました。墓前には、りんご4個、落花生1袋分、キャンディー1袋分、頂き物の高級な茅台酒などを奉げました。茅台酒はぐい飲み1杯分を奉げて、残りは持ち帰りました。りんご、落花生、キャンディーも持ち帰りました。日本の墓参では、お坊さんに墓前で読経をお願いする者がいるのですが、今日の墓参では僧侶も道士もみかけません。みんな、家族だけでお参りして、墓石を掃いたり拭いたりして清めるだけです。

 3回目の墓参で気づいたことは、墓碑銘の生年・没年が旧暦(農暦)で記述されていたこと、骨壷が納められた場所のうえに置かれた石には「福」の字が大きく刻まれていることです。周りの墓石も同じです。両親の祭祀をしてくれる子供たちがいることが「福」につながるのでしょうか。もっともこれはなくなった人々の思いというよりも、残された人々の実感なのでしょう。
墓前の作業が半ばをすぎたころ、流しの青年歌手がやってきました。上の区画で一稼ぎして下ってきたところです。 BGMによいというわけで、やってもらうことにしました。スローバラードの懐メロです。1曲目は「真的好想你」(ほんとうにあなたが懐かしい)、ついで「祝你平安」(あなたよ、やすらかに)と「再见到从前」(過去にまた会った)を2曲やってもらいました。1曲10元です。普段は町なかで歌っているのが、需要がありそうだというのでここまで稼ぎにきたようです。尋ねたところ学生だと言っていました。きっと音楽学校の学生なのかもしれません。歌唱力はセミプロ級です。これも、最近の珍商売なのでしょうか。

 行きの白タクに分乗して町に戻ったのは午後1時半ごろでした。参加した家族・親類みんなで例によって火鍋レストランで昼食をとり、その後散会しました。昼食には、日ごろはめったに味わう機会のない、公墓から持ち帰った茅台酒をみんなでちびちびやったのは言うまでもありません。

 翌5日の新聞報道によれば、当日は重慶市内の50万の市民、5万台の乗用車が周辺8か所の公墓に繰り出したそうです。もっとも、最近入場料がただになった三峡博物館その他の博物館見学や、郊外の農民が経営する「農家楽」(民宿)に遊びに出かけた人々も相当いたようです。

by zuixihuan | 2008-04-14 21:50 | 重慶日記(完)