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重慶日記4 (2008年4月23日・内田知行)

重慶日記4 (2008年4月23日・内田知行)

 今日は学校・教育関連のことを書く。

 茜は「日本重慶同郷会」のメンバーの一人であるが、昨日、彼女は日本からやってきたこの会のメンバー4人と重慶市の南郊、巴南区の小学校を訪問した。双河口鎮という村の小学校に在学する貧困学生への生活費支援のために、献金に行ったのである。小学校は曲がりくねった山道を車で登ったところにある。相当に辺鄙なところだったという。もっとも学校の校舎は煉瓦造りの新築5階建てで立派だった。今回「重慶同郷会」では、この鎮の「中心小学」の生徒15人、「石門小学」の生徒2人、「羊鹿小学」の生徒3人の20人に1人当り500人民元を手渡した。この鎮を選んだのは、重慶市政府の華僑辧公処の推薦によった。昨年までは、同じく巴南区の僻地の小学校児童を支援していたが、今回選ばれた児童たちの境遇は、以前の子供たちよりも貧しいという。男女が半々ずつで、6年生が3人、5年生が7人、4年生が3人、3年生が4人、2年生が2人、1年生が1人である。支援を必要とする理由が、この鎮の教育管理センターから渡された資料に具体的に書かれている。たとえば、13歳の5年男児Gでは、「母に障害があり、長年にわたって投薬治療を受けている。父一人が外地で働いて生計をたてており、借家住まいである」、11歳の4年女児Zでは、「本人は捨て子。養父はすでに60歳をすぎ、虚弱多病である。祖母も80歳の高齢であり、一家は農業で生計をたてている」、9歳の3年男児Mでは、「本人は右目を失明しており、幼いころに父母に捨てられた。養父母はすでに60歳を超えており、充分に仕事ができない。家には収入の手立てがないので、生活はきわめて困難である」という具合である。家事を負担するはずの母親がおらず、高齢で病弱の家族を父親一人が百姓仕事でささえていたり、本人や家族が障害者であり、貧しさにあえいでいるにもかかわらずなんらの社会的なケアも受けられないというケースが多い。豊かな社会にむかって驀進する中国で、成長から完全に取り残された人びとがここにいる。
 今回は生活費を現金で手渡したが、500元程度の善意では焼け石に水である。鎮の教育関係の職務についている人は、「今後はじっさいに彼らが必要とする文具や教材をもってきてほしい」と提案したという。じつは、中国の小中学校は、概ね一昨年から学費免除の政策を導入しているので、現金を学費の一部に充てる必要がなくなった。これまでは、献金する側に便利だということもあって現金を持参したが、これは効果のある教育支援にはならない恐れがあるという。父親の酒代・タバコ代や、借金の返済やその他の用途に流用されてしまうかもしれないのである。「重慶同郷会」でも、支援のやりかたを再考するという。

 つぎの話題は、雑誌の記事の紹介である。既述の貧困児童のなかには、父親が外地で出稼ぎして仕送りをしているケースが数例あった。しかし、1990年代以降出稼ぎ農民が扶養家族をつれて外地に定着しているというケースが少なくない。それにともなって、子供の教育問題が発生している。以前は、都市戸籍がなかったために、出稼ぎ農民の師弟は公教育を受ける権利さえ与えられていなかった。近年の政策では、義務教育9年間は出稼ぎ農民の子供も都会の小中学校に在学できるようになった。しかし、都会暮らしが長くなると新たな問題も派生している。三聯書店の週刊誌『三聯生活週間』2008年第14期(4月21日刊)は、「高級中学(日本の高校に当たる)進学をめぐる難題」という投書を載せている。投書の主によれば、いとこは江西省からの出稼ぎ農民で海口市にきてからかれこれ20年になる。海口で生まれた息子は同市で学んでおりもうすぐ中学も卒業するが、成績はとても優秀で国語や数学は同市でもトップクラスである。しかし、いまの中央政府の政策では、9年の義務教育を終えたら出稼ぎ農民の子弟は、もともとの戸籍があるところで勉学しなければならない。これでは、中学卒業は中途退学と同じになってしまう。さらに、海口市の高級中学に進学することについて、同市の同意を得るのは可能だが、「高考」(大学入試)は同市では受験できない。原戸籍地での受験は中央政府の政策規定なのだから。投書子はまた、この学期の直前(2008年1月頃か?)、山西省太原市の教育局は、太原市に居住する外来出稼ぎ者の子弟にたいして、同局直属の30余校の高校や同市所轄10県の高校や職業高校への勉学を受け入れた、と書いている。しかし大学受験の問題は、権限の及ばない太原市にはどうにもならない。出稼ぎ者の子弟の高校進学と大学受験の障害という問題を解決するには、全国的な見地からの対応が必要である、というのが投書子の結論になっている。このような投書内容と同じような問題は、きっと重慶市でも発生していると思う。それにしても、爪に火をともすような生活のなかで極貧の実家に仕送りをする出稼ぎ農民もいれば、都会によい仕事をみつけて子供たちを呼ぶことのできた出稼ぎ農民もいる。しかし、後者の生活とて都会っ子の知らない悩みがあるのだ。

 もう一つ、次に当地で聞いた高学歴の人材ともいうべき大学院生の苦悩を紹介する。最近知り合ったR君は中国文学を専攻する修士課程の院生である。中国の大学院生は、一般的に修士論文を完成させる前に1本、博士論文を完成させる前に3本の学術論文を学会誌か大学「学報」(日本の大学でいう大学紀要)に発表しなければならない、という。修士課程は日本では2年制、中国では多くの大学院で3年制を採っている。だから日本の修士院生には、よほど出来のよい院生でなければ、活字の論文のある者はいない。日本の大学院生における近年の問題点は、博士課程の3年をすぎても学術論文1本発表できないというレベルの低さにある。中国の院生の苦悩はこれとは別のところにある。論文は書けるのだが、一定の水準に達していても学会誌等の編集部に金を渡さなければ掲載してもらえないのだ。これは、大学紀要でも同じだという。この掲載料は、名の知れた学会誌だと高くて学内紀要だと安い。しかし、掲載料に明確な規定があるわけではなくて、こちらの懐具合を理解してくれたり、有力教授がねじ込んでくれれば、安くなる。「関係学」の世界である。修士の院生にしてみれば、1本投稿するのに800元、少なくても500元も準備するのはなかなかの出費である。私は日本の大学院生には、「学会誌の論文投稿はただだから、たくさん書け」と発破をかけているが、中国ではこの常識は通用しない。以前北京の某一流学術誌の編集者が「地方にいけば俺を接待してくれる大学教授がたくさんいる」と豪語していたのを耳にして合点がいかなかったのだが、道理でここに至って謎がとけた。考えてみれば、中国の社会科学系学術誌に載る論文には、緻密な実証的論文というよりも、研究のスケルトンを紹介した短い作品が少なくない。「なんでこれが載るの」と訝しい論文もある。掲載の可否を判断するのは、専門的研究者によって構成される査読委員会ではなくて編集者なのである。学問の世界も、「国情がちがう」のだ。

by zuixihuan | 2008-05-10 00:44 | 重慶日記(完)