東京都東久留米市の「グループ・中国だい好き」です。中国がだい好きな方々とのネットワーキングを大切にします。


by zuixihuan

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会話班 6月の教室

会話班 6月の教室

6月    3日   火曜日   図書館  大

     12日   木曜日   中央地区センター

     19日   木曜日   中央地区センター

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by zuixihuan | 2008-05-20 20:59 | Comments(0)
中国・四川省大地震、義捐金について

                                  2008年5月16日

5月12日に四川省汶川県で発生した地震の被害にあわれた被災地の方々にお見舞い申しあげます。

「グループ中国だい好き」は被災者、被災地支援のため、下記の通り義捐金を集め、送りたいと思います。

どうぞよろしくご協力ください。

 記

1 金額     
会員1人、1,000円

2 募金期間   
5月17日(土)~31日(土)

3 使途     
現在重慶在住の内田知行会長(重慶師範大学客員研究員)に送り、しかるべきところに渡してもらう。

4 募金方法  
・中国語教室の各クラスの授業のさい(運営費の集金担当者へ) 
・郵便振込 記号=10010 番号=94760581 名義人=内田知行 
(年会費(1,000円)といっしょに振込む場合は、通信欄に「会費+義損金」とお書きください。)
・知り合いの会員などに預けていただいてもけっこうです。

5 問い合わせ 
富岡 幸雄(電話)462-4010 ytomioka @mtc.biglobe.ne.jp
森本 実子(電話)475-0135 ciao.jitsuko@jcom.home.ne.jp

                                  以上

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by zuixihuan | 2008-05-18 07:28 | お知らせ | Comments(0)

地震関係の情報



四川省汶川县で大きな地震が発生。
被災地の方々にお見舞い申し上げます。


新浪網の地震関係の特集ページです。http://news.sina.com.cn/z/08earthquake/index.shtml

こkれは中国の映像情報「tuduo.com の 情系西川灾区(5分38秒)
http://www.tudou.com/programs/view/fc9QVzNmi04/

汶川の航空写真
(汶川を四角い枠にコピーして「地図を検索」をクリックしてください)

四川在线
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by zuixihuan | 2008-05-13 04:27 | 催し/企画/情報 | Comments(5)
重慶日記4 (2008年4月23日・内田知行)

 今日は学校・教育関連のことを書く。

 茜は「日本重慶同郷会」のメンバーの一人であるが、昨日、彼女は日本からやってきたこの会のメンバー4人と重慶市の南郊、巴南区の小学校を訪問した。双河口鎮という村の小学校に在学する貧困学生への生活費支援のために、献金に行ったのである。小学校は曲がりくねった山道を車で登ったところにある。相当に辺鄙なところだったという。もっとも学校の校舎は煉瓦造りの新築5階建てで立派だった。今回「重慶同郷会」では、この鎮の「中心小学」の生徒15人、「石門小学」の生徒2人、「羊鹿小学」の生徒3人の20人に1人当り500人民元を手渡した。この鎮を選んだのは、重慶市政府の華僑辧公処の推薦によった。昨年までは、同じく巴南区の僻地の小学校児童を支援していたが、今回選ばれた児童たちの境遇は、以前の子供たちよりも貧しいという。男女が半々ずつで、6年生が3人、5年生が7人、4年生が3人、3年生が4人、2年生が2人、1年生が1人である。支援を必要とする理由が、この鎮の教育管理センターから渡された資料に具体的に書かれている。たとえば、13歳の5年男児Gでは、「母に障害があり、長年にわたって投薬治療を受けている。父一人が外地で働いて生計をたてており、借家住まいである」、11歳の4年女児Zでは、「本人は捨て子。養父はすでに60歳をすぎ、虚弱多病である。祖母も80歳の高齢であり、一家は農業で生計をたてている」、9歳の3年男児Mでは、「本人は右目を失明しており、幼いころに父母に捨てられた。養父母はすでに60歳を超えており、充分に仕事ができない。家には収入の手立てがないので、生活はきわめて困難である」という具合である。家事を負担するはずの母親がおらず、高齢で病弱の家族を父親一人が百姓仕事でささえていたり、本人や家族が障害者であり、貧しさにあえいでいるにもかかわらずなんらの社会的なケアも受けられないというケースが多い。豊かな社会にむかって驀進する中国で、成長から完全に取り残された人びとがここにいる。
 今回は生活費を現金で手渡したが、500元程度の善意では焼け石に水である。鎮の教育関係の職務についている人は、「今後はじっさいに彼らが必要とする文具や教材をもってきてほしい」と提案したという。じつは、中国の小中学校は、概ね一昨年から学費免除の政策を導入しているので、現金を学費の一部に充てる必要がなくなった。これまでは、献金する側に便利だということもあって現金を持参したが、これは効果のある教育支援にはならない恐れがあるという。父親の酒代・タバコ代や、借金の返済やその他の用途に流用されてしまうかもしれないのである。「重慶同郷会」でも、支援のやりかたを再考するという。

 つぎの話題は、雑誌の記事の紹介である。既述の貧困児童のなかには、父親が外地で出稼ぎして仕送りをしているケースが数例あった。しかし、1990年代以降出稼ぎ農民が扶養家族をつれて外地に定着しているというケースが少なくない。それにともなって、子供の教育問題が発生している。以前は、都市戸籍がなかったために、出稼ぎ農民の師弟は公教育を受ける権利さえ与えられていなかった。近年の政策では、義務教育9年間は出稼ぎ農民の子供も都会の小中学校に在学できるようになった。しかし、都会暮らしが長くなると新たな問題も派生している。三聯書店の週刊誌『三聯生活週間』2008年第14期(4月21日刊)は、「高級中学(日本の高校に当たる)進学をめぐる難題」という投書を載せている。投書の主によれば、いとこは江西省からの出稼ぎ農民で海口市にきてからかれこれ20年になる。海口で生まれた息子は同市で学んでおりもうすぐ中学も卒業するが、成績はとても優秀で国語や数学は同市でもトップクラスである。しかし、いまの中央政府の政策では、9年の義務教育を終えたら出稼ぎ農民の子弟は、もともとの戸籍があるところで勉学しなければならない。これでは、中学卒業は中途退学と同じになってしまう。さらに、海口市の高級中学に進学することについて、同市の同意を得るのは可能だが、「高考」(大学入試)は同市では受験できない。原戸籍地での受験は中央政府の政策規定なのだから。投書子はまた、この学期の直前(2008年1月頃か?)、山西省太原市の教育局は、太原市に居住する外来出稼ぎ者の子弟にたいして、同局直属の30余校の高校や同市所轄10県の高校や職業高校への勉学を受け入れた、と書いている。しかし大学受験の問題は、権限の及ばない太原市にはどうにもならない。出稼ぎ者の子弟の高校進学と大学受験の障害という問題を解決するには、全国的な見地からの対応が必要である、というのが投書子の結論になっている。このような投書内容と同じような問題は、きっと重慶市でも発生していると思う。それにしても、爪に火をともすような生活のなかで極貧の実家に仕送りをする出稼ぎ農民もいれば、都会によい仕事をみつけて子供たちを呼ぶことのできた出稼ぎ農民もいる。しかし、後者の生活とて都会っ子の知らない悩みがあるのだ。

 もう一つ、次に当地で聞いた高学歴の人材ともいうべき大学院生の苦悩を紹介する。最近知り合ったR君は中国文学を専攻する修士課程の院生である。中国の大学院生は、一般的に修士論文を完成させる前に1本、博士論文を完成させる前に3本の学術論文を学会誌か大学「学報」(日本の大学でいう大学紀要)に発表しなければならない、という。修士課程は日本では2年制、中国では多くの大学院で3年制を採っている。だから日本の修士院生には、よほど出来のよい院生でなければ、活字の論文のある者はいない。日本の大学院生における近年の問題点は、博士課程の3年をすぎても学術論文1本発表できないというレベルの低さにある。中国の院生の苦悩はこれとは別のところにある。論文は書けるのだが、一定の水準に達していても学会誌等の編集部に金を渡さなければ掲載してもらえないのだ。これは、大学紀要でも同じだという。この掲載料は、名の知れた学会誌だと高くて学内紀要だと安い。しかし、掲載料に明確な規定があるわけではなくて、こちらの懐具合を理解してくれたり、有力教授がねじ込んでくれれば、安くなる。「関係学」の世界である。修士の院生にしてみれば、1本投稿するのに800元、少なくても500元も準備するのはなかなかの出費である。私は日本の大学院生には、「学会誌の論文投稿はただだから、たくさん書け」と発破をかけているが、中国ではこの常識は通用しない。以前北京の某一流学術誌の編集者が「地方にいけば俺を接待してくれる大学教授がたくさんいる」と豪語していたのを耳にして合点がいかなかったのだが、道理でここに至って謎がとけた。考えてみれば、中国の社会科学系学術誌に載る論文には、緻密な実証的論文というよりも、研究のスケルトンを紹介した短い作品が少なくない。「なんでこれが載るの」と訝しい論文もある。掲載の可否を判断するのは、専門的研究者によって構成される査読委員会ではなくて編集者なのである。学問の世界も、「国情がちがう」のだ。

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by zuixihuan | 2008-05-10 00:44 | 重慶日記(完) | Comments(0)
重慶日記3 (2008年4月19日・内田知行)

4月14日から18日まで、成都市に滞在した。14日(月)朝8時16分の重慶北駅発の長距離列車(電気機関車が牽く12両列車)で出かけた。料金は51元、約4時間半の旅である。重慶~成都間は出張などで往来する人が多いらしく、乗客はそんなに多くの手荷物をもっていない。月曜早朝発のこの列車には空席はほとんどない。両都市間をむすぶビジネス急行のような役割をもつ列車である。車両は上下2層の造りになっており、重慶北駅のホームで他の車両をみたかぎりでは、他の路線には投入されていないようである。両都市間の高速バスは100元余の料金だから、近年は汽車の利用客が多いという。以前の汽車は両都市間を7時間以上もかけて走り、しかも切符の入手がいつも難しかった。いまの鉄道は便数もふえて、街中にもチケット売り場があり、数元の「服務費」(手数料)を払えば、すぐに買える。鉄道の便利さは隔世の感がある。

乗った座席は上層で、窓外の見晴らしはよい。停車駅も少ないので、車内アナウンスもほとんどない。BGMにスローバラードのラブソングを流し続けている。帰りの車内では長淵剛の『乾杯』の中国語版が流れていた。乗客はこざっぱりとした身なりの青壮年の男女が多い。旧正月前の長距離列車のような庶民の出稼ぎ列車のような感じはない。もっとも、40代の隣席のオバサンは、なんと折りたたみ自転車を持ち込んでいる。成都にいる子供のために持っていくのだという。この荷物を乗務員も見とがめたりはしない。車両に乗り込むさいに乗車券のチェックをしているからだろうか、終点まで一度もチケットのチェックにはこなかった。乗務員はカップラーメンや新聞、日用品の販売にいそがしい。乗客の多くは甲高いおしゃべりもせず、マナーは良好である。しかし、帰路に私の前に座ったビジネスマン然とした紳士が鼻くそを掘りつづけ、それをまるめて私の足の下に捨てるのには閉口した。

路線は単線で、逐寧駅その他2か所ほどで停車し、反対車線の重慶行きの通過を待つ。沿線はなだらかな丘陵地帯で、傾斜地の畑には小麦や作物や野菜が植えられている。段々畑の形態の水田もいたるところにある。水田には水が充分にためられており、水面から20センチくらいも伸びた苗代の緑が美しい。もっとも、傾斜地に作られた水田はゆがんだ三日月形が多い。みたところ、1区画が100平米にも満たないような三日月形が多い。すでに、一部では牛(黄牛)による犂起こしが始まっている。水田や貯水池には白いアヒルが遊んでいる。ところどころに山林や竹林がみえ、その下に農家が点在している。昔ながらの古い土壁の農家とともに、白壁の3階建てのレンガ造りの豪邸もみえる。土壁の農家も白壁の農家も天空にむけてお碗形の大きなパラボラアンテナを備えている。どんな田舎にいても北京や上海の衛星放送が見られるのである。自宅までのアクセスは自動車の通れない細い農道しかないのに、パラボラアンテナでリアルタイムに世界とつながっているという風景のギャップは、まさに今日の中国社会を象徴しているように思える。しかし、丘陵地帯とはいえ、沿線には嘉陵江その他の大小河川が蛇行して流れており、じつに緑の豊かな田園地帯である。住む人の生命を削るような過酷な黄土高原のなかの暮らしとはまったく異なる風景がここにはある。

今回の成都旅行の主たる目的は、「中国だい好き」の9月短期留学の受け入れを四川大学に打診することである。16日の午前中に「文学与新聞学院」の院長助理のポストにある傳其林老師と会った。中肉中背の快活な副教授でこちらの希望に沿って具体的なプランを提言していただいた。9月中旬は新年度が始まったばかりで多忙だということで、下旬の9月19~27日に決めた。経費を含む詳細なプランは後日提示していただき、こちらから回答することになった。
 百年を超える歴史を持つ四川大学のキャンパスは市の中心にある。キャンパス内は樹木が多く、道路も広い。東西南北に門があるが、とにかく広い。北門から南門まではゆっくり歩くと20分はかかる。だから、キャンパス内の移動のために、「四川大学小紅帽服務隊」という後部に2人乗りの座席のある3輪人力車がある。ベトナムのシクロと同じ車体である。2~3元で、キャンパス内のどこにも乗せていってくれる。「車夫」は中高年の男性が多いが、なかには中年のオバサンもいる。橙色のはっぴを着て走っている。

 留学生公寓というところに泊まった。短期間訪問者のためのゲストハウスで、1泊140元である。キャンパス内は、朝から深夜まで学生の元気な声が絶えない。夜になると歩行者は少なくなるが、そのかわりに若いカップルの比率がぐんと高まる。暗がりのなかで大胆な行為におよぶ若者たちも見かける。ある晩、夜10時すぎに200人以上収容できると思われる大きな階段教室の近くを通った。教室の中は照明が煌煌とついていて、学生が7割がた座っている。夜の授業があるのかと思って近づいたら、なんと自習用に教室を開放しているのである。だれも私語をしないで、黙々と教材を開いている。自分の部屋よりも明るくて、同級生といっしょだときっとやる気がでるのであろうが、日本では見かけたことのない光景である。私の勤務する大学では、平日は夜の8時半まで図書館を開放しているが、午後7時過ぎには図書館を利用する学生はまばらである。学生の向学心に、日本の大学教師の一人として羨望を感じた。もっとも、ある教室棟の廊下に、「我們要課卓、我們不要“課卓文化”」という標語があった。この名門大学の教師たちも授業中の教室での学生のおしゃべりには頭を悩ましているのであろう。

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by zuixihuan | 2008-05-05 05:20 | 重慶日記(完) | Comments(0)